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貴州省安順市 ~ 人口 230万人、 一人当たり GDP 11,000 元


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  普定城(安順府城)



【 安順市の歴史 】

安順市は、古代黔中文化の発祥の地として有名で、旧石器時代の普定穿洞遺跡を有する。また、この地方は、貴州でも最も早くに開発された地の一つでもあり、戦国時代を統一した秦王朝により、雲南・貴州地方への領土拡大の途上で整備された「五尺道」が貫通していた。この街道は馬車が通行可能なレベルで建設されており、中原文化が雲南・貴州地方へ伝播する上で大きな役割を果たすこととなる。また、貴州省内でも早くから県役所が開設されていた古都でもある。
戦略上でも非常に重要なロケーションを有しており、安順市は、古代より「黔の腹、滇の咽喉元、蜀粤(四川・広東)の唇」と称されてきた。

紀元前2000年ごろの春秋時代、安順の地は古牂牁国の北側に位置しており、夜郎邑と呼称されていた。中原が戦国時代に入ると、牂牁国の北側にあった夜郎部族が決起し、牂牁国の王とその民族らを且蘭(今の福泉市一帯)まで駆逐し、夜郎国を建国するに至る。当時の安順がその本拠地であり、夜郎国の王都が最初に置かれた地となる。

安順市

しかし、戦国の七雄の一つであった楚国の顷襄王が庄蹻を大将軍として四川、雲南、貴州方面へ遠征軍を派遣してきた折、夜郎国の王はこれに投降している。楚の遠征軍が占領した四川盆地と貴州東部地域はすぐに秦国に再奪取されてしまい、庄蹻と楚軍の退路が絶たれる形となり、庄蹻は雲南の昆明を拠点に独立国を建国する。そのとき、夜郎諸国もここに併合された。

中原が秦国に統一されると、安順の地は象郡北部に編入される。しかし、秦王朝がすぐに滅亡すると、中原は再び戦乱の世となり、その混乱に乗じて夜郎諸国が再び再独立してしまう。
前漢王朝第7代皇帝の武帝は、夜郎国の王に金印を下賜し、漢の冊封体制に組み込むことに成功する。しかし、第11代皇帝の成帝の治世下(在位:紀元前33~前7年)、この地域の部族らが反乱を起こすに至り、漢軍により武力平定され、ここに牂牁国から540年あまり続いた黔中文化、そして250年続いた夜郎国は滅亡する。

後漢末期、この地域の部族らは再び独立の動きを強め、後漢王朝はこれを追認する形で、その部族長に羅甸王の称号を与え、普里一帯の統治を認めることとなる。そして三国時代後半、牂牁郡は牂牁郡、夜郎郡、平夷郡の三郡に分割される。安順市一帯は夜郎郡に帰属された。

安順市

唐代の中期、中央集権による統治を放棄し、普里部の部族長を普寧郡王として任命している。
宋代には紹重府が設置され、付近の22州を統括していた。安順はその当時、普寧州と呼ばれた。
元代の1257年、普里部は朝廷に帰属するものとされ、曲靖宣慰司が中央集権的に統括した。普定(現在の安順市)は雲南行省に帰属し、附近の地域を管轄する府役場が開設されていた。ここが4つの州を管轄しており、その中に安順州という地名がすでに存在していたという。貴州という地名もこのころにはあったが、あくまでも一地方の呼称に過ぎなかったようである。

明初代皇帝洪武帝(朱元璋)は、傅友德を大将軍として1381年、元軍の残存勢力(梁王国)があった雲南、貴州方面への大規模遠征軍を派遣する。この地を平定した明軍により、 1381年12月20日に城壁都市の築城が着工され、2年がかりで完成されたという。明代末期の1602年、安順州は安順府へと昇格され、この城壁都市内に役所が設置されている。その地の利の良さから、安順は黔中地区の政治、経済、文化、軍事の中心都市として確固たる地位を築いていく。

清王朝の初期の1660年、最初は清朝の直接統治が目指されたが、方針転換が図られ、1663年に、明勢力の掃討戦で功績があった呉三桂が平西王として雲南と貴州の二省が与えられる。このとき、安順の地に貴州総督衛門が設置される。 1666年には貴州総督を廃止し、雲貴総督が新設され、行政拠点も貴陽へと移転される。逆に1667年、貴州提督が貴陽から安順へと移転されてくる。

清朝が滅亡して、中華民国が建国されて3年目の1914年、安順府は安順県へと改名される。戦後の1958年に県制度が撤廃され、安順市へと改編される。1963年に再度、県へと降格されるも、1990年に付近の県と大合併され安順市へと再編された後、今日に至る。

安順市

さて、かつての普定城(安順府城)跡であるが、今日現在、完全に城壁や城門は撤去されてしまっている。しかし、旧市街地には以前の城壁都市の名残が色濃く残る路地名が数多く目についた。西門口(バス停名)、西門総合市場、鎮寧路、東門橋、南門大橋、北門口(バス停名)、北街、南馬河、願府街、宋官巷、南水路、安順文廟など。


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