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中原統一後の秦の始皇帝と華南遠征



広東省仏山市 ~ 人口 725万人、 一人当たり GDP 95,000 元


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  順徳県城
  三水県城
  羅村鎮城



【 仏山市の歴史 】

禅城区瀾石街道区一帯では、今から4500~5500年前に人類の生息が確認されているという。
春秋戦国時代、仏山市一帯は百越の地に分類されていた。秦朝、漢王朝の時代、禅城区、順徳区、南海区、三水区一帯は南海郡番禺県に帰属し、高明区のみ南海郡高要県に属した。

晋朝の時代、今の禅城区一帯の集落は「季華郷」と呼ばれるようになっていたという。
隋代初期の590年、番禺県から南海県が分離・新設される(かつてあった南海郡から命名された)。現在の仏山の主要地区はこの南海県に帰属された。
唐代の628年、先の季華郷は「佛(仏)山」と呼ばれるようになっていた。「仏僧の山」という意味が込められており、略して「禅」とも呼称されたという。このころから、巨大商業都市・広州に近く、また東南アジア交易も絡んで、手工業や商業が勃興してくる。

五代十国時代の南漢朝の治世下の917年、南海県が廃止され、その行政区が分割されて、常康県、咸寧県と永豊場、重合場がそれぞれ新設される。このとき、仏山市域は咸寧県に帰属された。
しかし、北宋朝初期の972年、先の常康県、咸寧県と永豊場、重合場が全て廃止され、再設置された南海県に編入される。なお、唐代より発展が始まった「佛(仏)山」地区の経済発展が最高潮に達したのもこの頃で、嶺南地方の重要都市として全国に名をとどろかせた。湖北の漢口鎮、江西の景徳鎮、河南の朱仙鎮とあわせて、大陸中国の四大名鎮に並び称されるほどであったという。

仏山市

明代も引き続き、南海県の管轄下に置かれていた。 1452年、皇帝により佛(仏)山は「忠義の郷」との別称を賜る。同年、順徳県が新設される(「順天威徳」から命名された)。 1475年には、もともとあった高明巡検司から命名されて、高明県も新設される。さらに1526年、三水県も新設された(三つの河川が合流する意味から命名)。

仏山市

清代も明代の行政区が引き継がれた。
中華民国が建国された1912年、南海県府が仏山鎮に開設される。 1924年には仏山市が成立するも、三年とたたずに廃止される。その後、仏山鎮、仏山市、仏山鎮など度々の変更が加えられた。
1938年から終戦まで、日本軍の占領下に置かれる。 1949年、現在の仏山市制が開始され、現在に至る。

仏山市

なお、現在の仏山市中心部は、近代以降に開発された都市で遺跡は存在しない。

市内で最もはっきりと古城跡を確認できるものは、明代の1452年に築城された順徳県城跡であろう(下絵図)。順徳区自体は、仏山市中心部から南東へ25kmの距離にあり、香港からのフェリーが毎日運行されている広州圏の巨大衛生都市の一つである。
現在でも、古城の真ん中に設置されていた鐘楼が保存されている。しかし、城壁や城門などは残っていない。しかし、旧市街地に残る路地名にはしっかり過去の記憶が刻み込まれていた。馬地巷、南興路、県東路、環城路、環北路、鐘楼公園など。

仏山市

その他、仏山空港の近くにある仏山市南海区羅村鎮では、かつての環濠集落跡がはっきり地名から見てとれた。環村南路、環村東路、環村西路、環村北路、東環路(かつての堀川跡)などが残されていた。

また、かつて三水県城が築城されていた、現在の仏山市三水区の旧市街地にも、かつての城郭都市時代の記憶が路地名に刻まれていた。西門路、紅城路、南門街、城河村など。


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