BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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中原統一後の秦の始皇帝と華南遠征



貴州省 黔南州・福泉市 ~ 人口 33万人、一人当たり GDP 20,000 元


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  且蘭古城
  平月府城(平越府城)



【 黔南州福泉市の 歴史 】

殷周王朝時代、福泉一帯は大部分が梁州に属したが、一部は荊州の南端にも帰属されていた。
春秋時代末期、牂牁江の上流域の先住民族であった濮人らが決起し、牂牁国の北部一帯を占領し、夜郎国を建国する。それまで権勢を誇ってきた牂牁国王と王族たちは夜郎国の東北部である 且蘭の地(今の 黔東南州黄平県旧州鎮)へと避難し、この地名から且蘭国という小規模国家を成立させ、以降、夜郎国と共に貴州地域に君臨していくこととなる。

福泉市

しかし、戦国時代の七雄の一つであった楚国の頃襄王により、紀元前 277年、庄蹻を大将軍として 四川、貴州、雲南遠征軍が発せられ、大軍が長江上流を遡ってくる。且蘭国は制圧され、ついに夜郎国も降伏する。この後、且蘭国一帯は牂牁の地に編入されることとなる。

中原を統一した秦の始皇帝は、紀元前 214年に且蘭県を新設し、且蘭国の王族を県令に封じる(このとき、夜郎国は独立国のまま存続した)。しかし、秦国もすぐに滅亡し、中原は再び戦乱の世を迎える。この機に乗じて元且蘭国などの各部族が独立し、元来の王政が回復された。

しかし、前漢王朝の武帝により、紀元前 112年に南越国への遠征軍が発せられた際、 南越国の経済基盤の一つであった 夜郎国や且蘭国との交易ルートを断ち切るべく、 同時に両国へ使節を派遣してくる。最初、且蘭国が頑強に抵抗するも馳義侯の率いる前漢軍 により滅ぼされる(紀元前 111年)に至り、すぐに夜郎国は前漢との朝貢関係を受諾する。同年中に 南越国が滅亡する。夜郎国や且蘭国があった地域には、牂柯郡(17県を統括)が新設される。 同時に、夜郎王族は正式に夜郎王と夜郎県令に封じられ、前漢王朝の郡県制に 組み込まれることとなる(後に前漢末の紀元前 27年、夜郎王族の興が反乱を起こすも鎮圧される)。
その後、前後漢時代や三国時代を通じて、且蘭国の王都があった且蘭県城内に牂牁郡の郡役所が設置され、 この地の 政治、経済、軍事、文化の中心地であり続けた(軍事制圧した且蘭の地に対し、まだ夜郎王の勢力が健在の夜郎の地には 郡役所が開設されなかった)。

時は三国時代。夷陵の戦いで大敗した劉備の死に便乗して呉に帰順した 南蛮・南中の 諸郡・部族らが反乱を起こした際、 牂柯郡太守であった朱褒も呼応して決起するも、馬忠の率いる討伐軍により追放される。馬忠はこの平定後、牂牁郡太守となって且蘭城に入城している。


福泉市

さて、時は下って隋代の 583年、かつての且蘭県は賓化県へと改名される。唐代も引き続き、賓化県が今の福泉市や麻江県一帯を統括した。

宋代初期の 975 年、真定(今の 河北省石家荘市正定県)出身であった宋景陽が大将軍に任ぜられ、この地域の諸部族平定に成功し、宋朝より蛮州総管府が設置され、その都総管に封じられる。この宋景陽こそ、水東宋氏の始祖にあたる。それから 1166 年には、その七代目当主にあたる宋万明が西南蛮族の反乱平定に功績を上げ、経略安托使衛の地位も追加される。さらに、宋万明の孫の宋永高の時代には、ますます宋氏の勢力は強大となり、宋永高は自ら巴江県を平蛮軍へと改名している。 1201年に、宋永高が麦新を武力併合し、新添(今の貴定県)へと改名の上、実子の宋勝に守備を任せている。また、黎峨里などの 軍事要塞(今の 福泉県東にある藜峨山に城壁跡が残る)も宋氏の手に落ちる 1210年、南宋王朝は宋永高を貴州経略安托使へと昇格させ、宋氏は衛署を 貴州(現在の貴陽市)へと移転させることで、矩州が正式に貴州へと改名され、この名称が以後、使用されていくこととなる。

元朝時代の 1284、今の福泉県城に平月長官司が設置され、菅番民総管府に帰属された。
明代に入った 1375年、平月長官司は平越安托司へ、さらに授楊義長官司へと改名され、播州宣慰司の下に配属される。そのまま清朝末まで継承されている。 1382年には、今の福泉一帯には平越衛が設置され、清代初期の 1671年まで存続していく。清代に平越軍民府が平越府へと改名され、1州(黄平)と 4県(瓮安、余慶、湄潭、平越)と束ねる楊義長官司が監督するものされた。さらに細かい変更が加わりつつ、近代まで続くことになる。

福泉市

なお、古代より且蘭国の中心地として栄えた且蘭古城跡がある福泉市黄平県旧州鎮であるが、現在ではその栄華の名残は一切感じられない小さな地方都市の一つとなっている。

一方、 元代に福泉市中心部に新設された 平月府城(平越府城)跡であるが、今日では完全に 城壁、城門は撤去されてしまっており、同じく全く何も残されていない。路地名にわずかな記憶が感じられるのみである。南門橋、南街村、東街村、県府路、便利店北門店、古城路など。


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