BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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黒竜江省 鶴崗市 ~ 人口 100万人、 一人当たり GDP 27,000 元


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  蘿北口岸(アムール川に架設された 浮き橋)から、ロシア へ



【 鶴崗市の 歴史 】

旧石器時代から古代人類の生息が確認されており、周王朝時代には、肅慎族らの勢力圏下にあった。

時は下って、唐代には河北道下の黒水都督府が、遼王朝時代には東京道下の烏隈于厥部に属していた。遼王朝を滅ぼした女真族が金王朝を建国すると、上京下の胡里改路に帰属する(下地図)。

鶴崗市

元王朝時代には遼陽行省下の水達達路に、明王朝時代には奴爾干都司に統轄される。

清代には、黒竜江将軍下の璦琿副都統、続いて、呼蘭副都統(1879年新設。呼蘭城 ー 今の 黒竜江省ハルビン市 巴彦県)に属した。 1885年、呼蘭副都統の管轄下で 綏化庁(北団林子鎮城 ー 今の 黒竜江省綏化市 中心部)が新設されると、これに監督される(1905年、綏化府へ昇格。翌 1906年、呼蘭副都統が廃止される)。下地図。

鶴崗市

1905年、湯原県(今の 黒竜江省ジャムス市 湯原県)が新設されると、今の鶴崗市域もこれに帰属した。翌 1906年、黒竜江省政府は、花爾市河(湯原県下を流れる法斯河)の東岸、梧桐河の西岸、松花江の北岸から大山南麓に至る広大な土地を「鶴字段」として、新移民らに開放し、土地開墾を奨励する。ここから、現在の鶴崗市エリアの開発がスタートすることとなった。

中華民国初年の 1912年、そのまま黒竜江省綏蘭道下の湯原県に属した(1929年、綏蘭道が廃止されると、黒竜江省に直轄)。
日本統治時代が終結した 1945年12月20日、中華民国政府の下、興山市と 鶴立県(今の 黒竜江省ジャムス市 湯原県鶴立鎮)が新設される(合江省に帰属)。1949年5月、合江省が松江省へ併合され、同年 11月24日、興山市が鶴崗市へ改称される。1954年8月、松江省が黒竜江省へ統合され、今日に至る。

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