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中原統一後の秦の始皇帝と華南遠征



福建省竜岩市 ~ 人口 299万人、 一人当たり GDP 52,000 元


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  竜岩県城(新羅県城、什羅県城、竜岩州城)
  長汀県城
  上杭県城
  武平県城
  清流県城
  連城県城
  帰化県城
  寧化県城
  永定県城



【 竜岩市の歴史 】

280年、西晋の司馬炎の前に呉も降伏を余儀なくされ、三国統一が成る。西晋朝により旧呉領内の行政区の再編が進められ、この一環により282年、現在の竜岩市中心部に新羅県城が新設される(福建省の山岳地域に設置された最初の県城。このとき、今の福建省一帯にはあった県城の総数が18となった)。晋安郡(建安郡より改称)の管轄下に置かれる。

時は下って、唐代の736年、汀州が新設され、その州役所が新羅県城内に開設される。同時に、新羅県より長汀県、黄連県、什羅県の3県が分離・新設され、 この汀州の管轄下に置かれることとなる。 742年には汀州は臨汀郡へ、什羅県(新羅県)は竜岩県へ、黄連県は寧化県へ改称される。
758年、汀州へ再度、戻されるも、引き続き、長汀県、寧化県、竜岩県、沙県の4県を統括することとされた。
しかし、汀州一帯は山岳地帯で河川交通も使えず、広大な土地の統治は困難を極めたようである。 このため、777年、それまで汀州の中心都市であった竜岩県城を、新たに設置する漳州の州都とし、 汀州の州役所はより山奥地にあった長汀県城内に移転されることとなる。 以後、現在の竜岩市域は清朝中期まで、汀州と漳州に分かれて管轄されることとなった。

五代十国時代の南唐朝の治世下の948年、沙県が汀州から剣州(今の南平市中心部)の管轄下へ移籍される。
南北朝の戦乱を統一した北宋朝の統治下の994年、上杭と武平升場が県城へ昇格される。

元代の1098年には清流県が、1133年には蓮城県が新設される。この当時、汀州は長汀県、寧化県、上杭県、武平県、清流県、蓮城県の6県を統括していた。 1278年には汀州路へ改編される。

竜岩市

明朝が建国されたばかりの1368年、汀州府へと改称される。
1470年には帰化県、1471年には漳平県(竜岩県と共に漳州府に帰属)が新設される。 1478年、永定県が新設される。この当時、長汀県、上杭県、武平県、清流県、連城県、帰化県、寧化県、永定県をあわせて、 ”汀下の八県”と通称されたという。

清朝前期の1734年、竜岩県が直隷州へと昇格され竜岩州となり、漳平県と寧洋県を統括することとなる。以降、汀州府と竜岩州は漳州府とともに、汀漳竜道の監督下に帰属した。

中華民国が建国された1912年に、州制と府制が廃止され、竜岩県へと降格される。 1925年には道制も廃止され、以後、福建省の管轄となる。 1981年に竜岩県が廃止され、竜岩市として今日に続く市制がスタートする。

竜岩市

なお、西晋時代に新羅県城として設置されて以降、汀州城(臨汀郡城)、什羅県城、竜岩県城へと改称され、最終的には漳州城(竜岩州城)となり、この地域の政治・経済の中心地であり続けた古城跡であるが、現在では全くその栄光を示す遺構は残されていない。わずかに残る地名だけがかつての面影を伝えてくれるのみであった。銀行北門支店、竜岩西門教会、銀行竜岩東城支店、東門橋など。


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