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湖南省婁底市 ~ 人口 460万人、 一人当たり GDP 21,000 元


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  新化県城



【 婁底市の歴史 】

婁底市一帯は、春秋戦国時代、楚国の版図下にあった。その楚国も紀元前223年に秦国により滅ぼされ、以後、秦国の長沙郡下の湘南県に帰属されることとなる。湘南県域は、今の双峰や漣源の大部分を含んでいた。
紀元前202年、前漢王朝の初代皇帝となった劉邦は建国の功臣ら8名を諸侯王に封じ、各地に所領を与える。 そのうちの一人であった呉芮が長沙王を拝命し、この地の支配を許される。以後、婁底市一帯(連道と呼称されていた)は、長沙国下の益陽県に帰属された。 前漢王朝末期の紀元前3年、長沙国下の長沙郡において湘南県が分割され、湘郷県が新設される。婁底市一帯もここに帰属する。紀元5年の前漢王朝の滅亡により、長沙国も終焉を迎える。 後漢朝の時代は、封国が設置されず、中央集権体制が徹底され、長沙郡湘郷県の管轄下に置かれた。
時は三国時代。関羽を掃討し、荊州3郡を軍事占領した呉の孫権と呂蒙により、220年、 長沙郡を分割し、衡陽郡(郡役所は蒸陽県城内ー今の衡陽市蒸湘区)が新設される。
呉の三代目皇帝の孫休統治下の266年、零陵郡北部と長沙郡下の高平県(今の新化県西部一帯)が分離され、昭陵郡が新設される(郡役所は昭陵県城ー今の邵陽市中心部)。今の婁底市の一部もここに帰属された。
280年、呉が西晋朝に降伏することで、三国時代は終焉を迎える。その際、皇帝の司馬炎は自身の父である司馬昭を 称えるべく、昭陵郡を邵陵郡へと改名し、さらに郡役所を資江北岸へと移転させている。


以降、東西晋王朝、南朝(宋、斉、梁、陳)時代も、引き続き、邵陵郡とその行政区が継承された。
隋代、婁底市一帯は長沙郡の管轄下に再編入される。
唐代、五代十国時代、宋朝時代は潭州と邵州に分かれて管轄される。
北宋時代の1072年、一帯の山岳地帯の「梅山蛮」と呼ばれていた民族の掃討作成が終結し、これを記念して「王化の新しい土地」という意味から新化県が新設される(邵州に従属:南宋時代、宝慶府に改名)。これが、婁底市域で最も早い行政庁の開設となる。

婁底市

元代には天臨路と宝慶路(新化県城ここに帰属)に同じく分かれて属した。
明代と清代も長沙府と宝慶府(上に同じ)に別々に帰属する 。
中華民国時代に入り、長宝道、湘江道、湖南省へと監督庁が変化するも、区域はそのまま踏襲される。 1999年に現在の婁底市が成立する。

婁底市

なお、婁底市中心部は近代以降に開発された都市であるため、遺跡は存在しない。この市内で最も古く城郭都市が設置されたのは、北宋時代の1072年に新化県城が築城された、現在の婁底市新化県の旧市街地である。以後も、ずっと山岳地帯の県役所レベルが継承されたため、大きな城郭は築かれなかったようである。路地名にわずかながらの名残を感じることができるのみである。中国工商銀行南門支店、城北路、古城路、工農河路(かつての堀川跡)など。


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