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遼寧省盤錦市 ~ 人口 132万人、 一人当たり GDP 83,000 元


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  広寧県城(広寧衛)



【 盤錦市の歴史 】

春秋戦国時代、盤錦市一帯は燕国の版図下の遼西郡に属した。そして、前漢の時代、遼西郡が大凌河の左右に分割され、新たに遼東郡が新設される。盤錦市は引き続き、遼西郡に帰属する。三国時代に入って、魏の統治下、幽州の昌黎郡(遼西郡の一部が分割された)が新設され、ここに属した。

西晋時代、およびその後の南北朝時代においては、中原王朝の支配力が急速に弱まり、西域、北方系民族らの動きが活発化していく。ちょうどこの頃、旧満州方面にあった高句麗の勢力が南下し、その昌黎郡、遼東郡、楽浪郡の一帯を支配下に治めるようになる。

盤錦市

300年にも及んだ南北朝時代を終結させた隋王朝は、その勢いに乗り、北方、西域、東方遠征を繰り返した。特に、東方の高句麗征伐は4回実施されたが、いずれも失敗に終わっている。そして、唐王朝になってから、朝鮮半島にあった新羅と手を組んで、やっと高句麗を滅ぼすことに成功する。そして、遼東郡一帯に都護府を設置し、後に显寧府へと改名している。
元王朝の時代は、広寧府路が置かれていた。

明王朝の時代、広寧衛へと改編され、さらに海岸線一帯に高平駅や盤山駅などを軍事用宿場地が設けられて、盤錦市の一帯は交通の要として重視されるようになっていく。
清朝時代の初期は遼東郡や旧満州地区への漢民族の移民は厳しく制限されていたが、清末になってロシアが北辺国境を脅かすようになると、一転して、大規模移民が実施される。この時以降、盤錦市一帯では本格的な都市が形成されていくことになる。清朝は盤錦市一帯を広寧県に統括させ、1906年には盤蛇駅を新設している。さらに清末には盤山庁へ改編させた。

なお、この盤錦市には古城跡はない。昔から陸海の交通路となっていた一経由地であったらしい。


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