BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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黒竜江省 七台河市 ~ 人口 95万人、 一人当たり GDP 36,000 元


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  自然公園、スキー場などが点在する。近代後期まで未開拓の土地であった。史跡なし。



【 七台河市の 歴史 】

夏王朝時代、殷(商)王朝時代、周王朝時代にかけて、北方先住民系の肅慎族の勢力圏下にあった。当時、アムール川(黒竜江ー 現在の 中国・ロシア国境の大河)流域に割拠していた肅慎族と索離族は、これら中原王朝に対し朝貢を行っていたという。
唐代には、肅慎族は靺鞨人へ改称されることとなる。

698年、靺鞨族七部のうちの一つ、粟末靺鞨人が渤海国を建国する。引き続き、唐王朝に朝貢を続けて、臣下の礼をとった。渤海国の最盛期には、5京 15府 62州が開設され、現在の七台河市エリアは、鉄驪府(鉄利府。府役所は徳里鎮 ー 今の 黒竜江省ハルビン市 依蘭県中心部)に統括された。下地図。
七台河市

契丹族が渤海国を滅亡に追い込むと(926年)、国号を遼王朝へ変更する(947年)。

この頃、女真族が松花江両岸から烏蘇里江口に至るエリアに大規模に入植し、剖阿里、盆奴里、越里篤、奥里米、越里吉の 5つの部落集落を形成する。それらは連盟を作って協力体制を構築し、本部を五国部の西端に位置した 最大集落地・越里吉部(五国部「頭」城と命名されることとなる)に開設する。これが、今の 黒竜江省ハルビン市 依蘭県依蘭鎮の北 1 kmにある、金代五国城遺跡の発端である。現在の七台河市域は、この五国部のテリトリー内に組み込まれていた。

1115年、この女真族によって建国された金国が遼国を亡ぼすと、金王朝は地方最高行政区として路制を採用する。以降、今の七台河市域は、胡里改路(路役所は、先の 金代五国城遺跡)に統括された。下地図。

七台河市

モンゴル軍が金王朝を滅ぼすと、1271年、クビライが元王朝が建国する。全国に行省制が導入され、省の下に 路、府、州、県が配されることとなった。こうして、五国城遺跡に胡里改万戸府が新設され、そのままの行政区を踏襲した。

1409年、明朝は黒竜江と松花江の流域に、中国東北部の 総括機関・奴儿干都指揮使司を開設する。その配下として、満州地方各地に衛所や要塞を配置させていった。今の七台河市エリアには、呕罕河衛(衛役所は今の 黒竜江省ジャムス市 下の依蘭県と 樺南県の境界付近)に統括された(下地図)。なお、「呕罕河」とは、現在の倭肯河の旧称。

七台河市

満州族が 北京 を占領し、華北地方を占領して、清王朝を建国した 1644年、「依蘭哈喇」の地(「三姓城」。満州語で、依蘭=三、哈喇=姓の意味。すなわち、今日の 黒竜江省ハルビン市 依蘭県中心部)に、協領、副都統、府、道衙門の各行政機関が設置される。特に、1731~1909年の間、三姓城に設置されていた 三姓副都統(県レベルの行政区。地元の有力豪族である 余盧氏、葛氏、舒氏の三氏首長に間接統治させていた)の管轄域に組み込まれた。

中華民国時代の 1915年、依蘭県の 南エリア(当時は、まだまだ未開拓の土地が広がっていた)を分離し、四駅の地に行政庁を開設する。1918年9月15日、この行政庁が 勃利県(今の 七台河市勃利県勃利鎮。付近を流れていた「勃利河」に由来)へ改編されると、その行政区に今の七台河市一帯も含まれることとなる(依蘭道に帰属。1929年の道制廃止後、吉林省に直轄)。

1931年、日本軍が満州へ侵攻すると、1934年12月、勃利県は新設された三江省に統括される。 1943年10月、東満総省が新設されると、勃利県はこれに属した。
1945年8月、敗戦により日本軍が撤退すると、中華民国の支配下に戻され、 9省に分割された東北地方にあって、勃利県は合江省に統括された。
1949年、共産党政権が成立すると、松江省、合江省、牡丹江省の 3省が合併され、松江省となり、さらに 1954年8月1日、松江省が廃止され黒竜江省に統合される。


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