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江西省上饒市 ~ 人口 741万人、 一人当たり GDP 21,000 元


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  上饒県城(信州城、広信府城)



【 上饒市の歴史 】

上饒市一帯は周代のころ、番邑に属し、楚国の東端に位置していたと考えられている。
紀元前504年、呉国が楚国から番邑を奪取し、以後、呉国の版図下に組み込まれる。紀元前473年には越国が呉国を滅ぼし(臥薪嘗胆のエピソード誕生)、以後、越国領となる。紀元前333年、楚国が越国を滅ぼし、楚国の版図下に入る(その楚国も、最終的には紀元前223年に秦国により滅亡する)。

紀元前221年に秦の始皇帝が中原を統一すると、全国を36郡に分け、中央集権体制の導入が図られることとなる。このとき、上饒市エリアの大部分は九江郡に属するも、玉山県と鉛山県の一部は会稽郡(今の浙江省一帯)に、婺源県は鄣郡(今の江蘇省一帯)にそれぞれ分かれて管轄されることとなった。
上饒市

その秦朝も紀元前206年、早くも滅亡し、紀元前202年に劉邦により前漢朝が建国される。その翌紀元前201年、豫章郡下に余汗県(後に余江県へ改称)が新設され、現在の上饒市の大部分はこの管轄下に置かれる。引き続き、玉山県と鉛山県は秦代と同じく会稽郡に、婺源県は丹陽郡の帰属とされた。

後漢末期の194年、豫章郡から蘆陵郡が分離・新設され、この管轄下に移籍される。三国時代に入り、呉領下にあった205年ごろ、上饒県城が新設される。210年、蘆陵郡より分離・新設された鄱陽郡の管轄区へ移籍された(下地図参照)。

上饒市

以後、南北朝時代後期まで鄱陽郡の帰属となる。南朝の梁の治世下の553年、鄱陽郡が呉州へ改称され、そのまま同じ行政区が踏襲される。続く陳朝下の568年に呉州が廃止され、再び鄱陽郡へ戻された。

隋代初期、金華郡は婺州へ、定陽県は信安県へ改称される。 589年には鄱陽郡が饒州へ、新安郡が歙州へそれぞれ改名となる。
隋朝第二代皇帝の煬帝の治世下の607年、饒州は鄱陽郡へ、婺州は金華郡へ、歙州は新安郡へそれぞれ戻される。

唐代には郡制が州制へ改編される。さらに、627年に全国が十道に区分けされた際、江南道に帰属する。
758年、上饒県城の城壁修繕工事が実施され、城域が拡張される。あわせて、この県城内に信州役所が設置された。以後、信州の中心都市として君臨することとなる。このころ、上饒市一帯はこの信州と隣接する饒州の2州に分かれて帰属された(江南西道に帰属)。

上饒市

五代十国時代の初期、呉国(楊行密により902年、江南一帯に建国された王朝)の領土下に組み込まれた。この当時、上饒市一帯は饒州、信州、歙州、撫州の4州に分かれて統括されていた。
937年に、楊行密の四男であった第四代皇帝の楊溥より、徐誥(徐知誥)が権力禅譲を受け、南唐を建国する。南唐はそのまま旧呉国の領土を引き継ぎ、上饒市一帯もこれに従った(その治世下、饒州が永平軍へ改称されるも、同じ行政区割りが継承された:上地図参照)。

その南唐国も、975年、北宋朝により滅ぼされる。北宋の治世下となってすぐ、永平軍が饒州へ戻される。これにより、上饒市エリアは饒州、信州、歙州の3州の管轄下に置かれることとなる(江南東路に帰属)。

上饒市

元代の1295年、上饒市エリアは、江浙行中書省下の信州路、饒州路、徽州路と鉛山州の管轄域に分かれて所属された。上の地図は、元朝末期の行政区を示す。

明代には、上饒市域は広信府(1360年に信州路から改名)、鄱陽府(1361~1369年には饒州路へ一時改名)、徽州府(1357年に興安府に改名)の3府の統括とされる。
清代も明代の行政区がそのまま継承された。中華民国が建国された1912年、全国で府制が廃止され、全県は各省の直轄下に置かれることとなる。 2000年10月に現在の上饒市制がスタートし、今日に至る。

上饒市

なお、三国時代の205年ごろに新設された上饒県城が、現在の上饒市中心部(信州区)にあった古城の原型である。西晋朝の初期にいったん廃止され、その行政区域は葛陽県へ編入されるも、南朝の宋の治世下に復活され、再設置された。しかし、隋朝、唐代を通じて、引き続き、葛陽県(後に弋陽県へ改称)へ吸収合併されたり、復活設置されたりを繰り返す。そして、最終的に唐代の758年に城壁が修築され、本格的な県城として復活されて以降、この地域の中心都市(信州役所の併設)として君臨していくこととなったようである。

そんな上饒県城も現在は城門、城壁ともに全く跡形も残されていない。かすかに路地名や地名に城壁都市時代の記憶が刻みこまれているのみであった。東門路、東門路口(バス停)、南門路、陽光コンビニ北門店、信州区北門衛生管理駅、北門紫陽社区、北門郷など。


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