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吉林省四平市 ~ 人口 340万人、 一人当たり GDP 23,000 元


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  梨樹鎮城



【 四平市の歴史 】

四平市の歴史は3000年前の殷(商)の時代まで遡る。市内には春秋戦国時代の燕国の遺跡が発見されており、すでに漢族らがこの地に入植していたことが証明されている。
後漢、魏、西晋、そして五胡十六国時代においては、扶余族の領土下にあり、南北朝から唐朝初期までは高句麗の版図下にあった。唐朝中期以降は、渤海国の扶余府の管轄下で扶州に帰属した。遼朝の時代は東京道通州、金朝の時代は咸平路韓州、元朝の時代は開元路に帰属していた。
明朝時代は遼東都司の北端に位置し、清国時代は蒙古哲里木盟に帰属し、その後、昌図庁に帰属した。
1821年、昌図庁は売買街(今の梨樹鎮)に分防照磨を設置し、四平一帯を管轄させた。 1878年、奉化県が新設され、その下に九社が設置される。その中の一つの新恩社(その役所は今の昌図県老四平)が今の四平市域の大部分を管轄した。

四平市

1905年9月の日露戦争の後、南満州一帯の統治権をロシアから引き継いだ日本とともに、この地は、清朝との二重統治時代を迎えることになる。 1922年、この地に初めて四平街村が成立する。 1937年12月1日、四平街市が成立し、日本人の古館尚也が四平街市市長となる。この時から、四平街は梨樹県の管轄下から脱し、直接、奉天省に帰属するものとされる。日中戦争後の1945年、遼北省が設置され、ここに帰属するも、国民党勢力の撤退後、遼北省は廃止され、遼西省へと改名される。そして、1954年に吉林省に属することとなった。

四平市

なお、この西平市街地であるが、ここは近代以降に南満州鉄道が縦横に交わる交差点駅として発展してきた街であり、もともとは農村地域であった。この地域を統括した行政庁は、今の梨樹鎮にある古城であった。清代中期に田舎集落であった梨樹鎮に行政庁が設置され、簡易な城壁都市が形成されるも、現在ではその面影は全く見られない。わずかな路地名に古の様子が残されているのみである。北門路、市場東胡同、順心西街(東街)。


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