BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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海南省 万寧市 ~ 人口 65万人、一人当たり GDP 29,000 元


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  万安県城(【初代、三代目】万安州城 & 万全郡城、万全県城、万安軍城、万寧県城)
  荊王太子墓
  博遼県城
  富雲県城(万寧市西部)
  陵水県城(【二代目】万安州城 & 万全郡城、陵水鎮城。今の海南省陵水黎族自治県)



【 万寧市の 歴史 】

万寧市下の白溝園や文昌園では、数多くの石斧などの石器類が発掘されており、すでに新石器時代に古代人類の生息があったことが確認されている。

紀元前 111年、前漢朝第 7代目皇帝・武帝は、伏波将軍の路博徳と楼船将軍の楊仆等を正副総大将として十万以上もの大軍勢を派兵し、南越国を滅亡に追い込む。直後より、その旧領だった華南地方を直轄すべく、順次、郡県制が導入されていくこととなった。
この一環で翌紀元前 110年、海南島(ちょうど日本の関東地方と同じ面積)を統括すべく、珠崖郡と儋耳郡の 2郡が新設され、それぞれ東半分、西半分を監督することとされる。この時、現在の万寧市エリアは、珠崖郡側に帰属された(下地図)。

万寧市

唐代初期の 631年、文昌県(前漢時代の紀元前 110年に開設された紫貝県が、607年に武徳県へ【上地図】、622年には平昌県へ、 627年に文昌県へ変更されていた。今の海南省文昌市文城鎮)から、万安県 (今の 万寧市大茂鎮旧州村)と、富雲県(万寧市西部)が分離・新設される(瓊州に帰属)。

639年、万安県は崖州へ移籍される。662年には万安州へ昇格されると、万安県、陵水県、富雲県、博遼県(631年新設。今の 万寧市南部)の 4県を統括した(下地図)。

721年、万安州の州役所が陵水県城へ移転され(下地図)、742年には万安州は万全郡へ改編される(嶺南道に帰属)。 同時に、万安県も万全県へ改称される。しかし、757年に再び万全郡が万安州へ、785年には、万全州の州役所が陵水県城から万全県城へ戻される。間もなく、万全県が万安県へ変更されると、同時に、万全州が万安郡へ改編されることとなった。

万寧市

五代十国時代(907~960年)、南漢王朝に組み込まれると、万安郡は万安州へ戻される。同時に、富雲県、博遼県が廃止され、万安県と 陵水県(今の海南省陵水黎族自治県)の 2県のみ、統括することとされる。

北宋時代の 1023年、万安州が北宋朝の支配下に組み込まれる。 1074年、万安州が万安軍へ改編される(瓊管安撫司に帰属)。引き続き、万安県陵水鎮(当時、一時的に陵水県から降格されていた)を統括した。
1136年、万安軍が廃止され、万寧県へ降格されると、当時の軍使がそのまま県長官職に着任する(瓊州に帰属)。 7年後の 1143年、万安軍が復活設置されると、そのまま万安県と陵水県の 2県を統括した。
万寧市

1276年に南宋の王都・臨安 を占領させたモンゴル軍は、一気に長江を南下し、荊州、淮西、江西、広西などを席巻していく。この過程で 1278年11月、モンゴル軍将軍の阿里海牙(1227~1286年)が兵を率いて、瓊州へ上陸してくると、海南島内の各州県城はすべて元朝に投降することとなった。
1291年、瓊州路安撫司が瓊州路軍民安撫司へ改編され、その配下の地方行政区はそのまま南宋時代のものが踏襲される。

1368年、朱元璋の命により、廖承忠と朱亮祖が征南正副将軍に任命され海南島を征服すると、そのまま明王朝の統治下に組み込まれる。
1370年、瓊州が 瓊州府 へ昇格されると、広東省に帰属する。また、同時に万安軍が万州へ改編され(引き続き、万寧県陵水県 を統括)、瓊州府に帰属された。
1440年、全国的に県制が廃止され、州制に統一されると、万寧県が廃止され、その県域は万州が直轄することとなる。以後、万州は陵水県のみを統括した。下地図。

万寧市

1647年春、清軍が猛烈な勢いで南征する中、広東省下の 肇州高州雷州 などが次々と投降し、海南島へ迫ると、同年 4月に海南島の 最高行政庁・瓊州府城 も降伏してしまう。直後の 4月13日、万州全土にも満州民族風に剃髪が強制されることとなった。

1652年、福建省南部の海賊団を率いた張士俊が 300人余りを引き連れて海南島へ上陸し、万州の辺りで旧南明軍などの残党勢力とともに島内の各城を占領してしまう。しかし、同年 8月、清朝廷は征討軍を渡海させ、瓊州府 を再占領すると、参将の馬正龍が別部隊を率いて万州も再奪還し(上地図)、再び、清朝の支配下に組み込まれることとなった。

1947年7月1日、楽万県と万寧県が新設され、1958年12月8日には瓊東県、楽会県、万寧県の 3県が合併し、瓊海県が創設される(翌 1959年11月に瓊海県と万寧県へ再分離される)。 1996年8月5日、万寧県が万寧市へ昇格され、今日に至る。


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