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青海省西寧市 ~ 人口 225万人、一人当たり GDP 38,000 元


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  西都県城(西平亭、西平郡城、西寧州城、西寧府城)



【 西寧市の歴史 】

西寧市一帯の歴史は古く、黄河流域に発展した古代文明の一部を成す朱家寨遺跡、沈那遺跡や西杏園遺跡などが発掘されている。すでに、4000~5000年前には、人類による文明的な活動が行われていたとされる。

中原が商(殷)、周、秦、漢王朝のころ、湟水流域では羌族らの集落が複数、形成されていたという。

この遊牧系の羌族らは度々、中原の王朝と抗争を繰り返した。当初、前漢朝は軍事・通商拠点として、金城郡臨羌県の管轄下で、西平亭(今の西寧市中心部)という兵士駐屯所を設置した。

西寧市

紀元前121年、前漢第七代皇帝の武帝は、霍去病を大将軍とする遠征軍を発し、 黄河上流の湟水をさかのぼって羌族追討を図る(上・下地図参照)。間もなく、羌族の地も平定され、 以前から設置されていた兵士駐屯所・西平亭が環濠集落として拡張工事を施されるに及び、西寧市の発展の礎が築かれることとなる。

西寧市

時は三国時代、西涼の馬超や韓遂らの勢力を駆逐した曹操は羌族の地を直接統治すべく、金城郡の西側を分離する形で、西平郡を新設する。同時に、臨羌県下にあった西平亭が分離され西都県城となり、南側と西側、北側の3方面の城壁が増築されて、西平郡の郡役所が同時併設されることとなる。このとき、西平郡は、西都県、臨羌県、安夷県の3県と、後に新設される長寧県の合計4県を統括した(凉州刺史部に所属)。下地図参照。

220年、曹操の後を継いだ曹丕により魏国が建国されると、さらに羌族の服属が続き、西域統括のため西平郡の管轄域を拡大する(222年)。これにあわせて、本格的に郡都である西都県城の拡張工事が進められた。


西寧市

南北朝時代の北魏朝の治世下、西平郡は鄯善鎮へ改編され、鎮役所は引き続き、西都県城内に開設された。 526年には鄯善鎮は鄯州へ改称され、州役所が楽都県城(今の海東市楽都県碾伯鎮)内へ移転される。

南北朝時代を統一した隋朝の治世下の607年、鄯州が西平郡(郡役所は引き続き、今の海東市楽都県に開設)へ改編され、 湟水県と化隆県(唐代の712年に化成県へ、742年に広威県へ改称)の2県を統括することとされる。唐代に入っても、 西平郡と鄯州との名称変更が何度かあり、最終的に鄯州に落ち着く。

西寧市

唐朝は当初、西の吐蕃国と良好な同盟関係を保っていたが、徐々に領土問題で対立するようになり、 度々、現在の青海省一帯は吐蕃国の侵攻を受けるようになる。763年以降は完全に吐蕃国の支配下に組み込まれた(上地図)。
しかし、吐蕃国も内紛で弱体化が進んだ851年、地方豪族の張儀潮が沙州(敦煌)で反吐蕃の挙兵を決行し、 唐朝へ帰順したため、再び青海省一帯は唐領に復帰する。しかし、すぐに吐蕃国に再征服されてしまう。

その吐蕃国も内部分裂から877年に滅亡し、その旧領は吐蕃諸部と呼称される通り、 旧吐蕃の諸軍閥が割拠する内戦状態に陥ることとなった。一時期は、北方の契丹国(遼)に 併合されたこともあった。

西寧市

吐蕃王室の末裔と自称する唃厮啰(997~1065年)が、旧吐蕃国の残党勢力を結集して、 現在の青海省一帯に独立王朝を建国する(上地図)。

しかし、1099年、北宋は西域平定のために遠征軍を派遣し、 湟水流域の平定に成功する。唐代からの鄯州を復活させるも、1101~1104年に再び、旧吐蕃系に再占領される(下地図)。 この後、すぐに反乱を駆逐した北宋朝は、1104年、鄯州を西寧州へ改称する。この時から「西寧」の地名が歴史に登場することとなった。

西寧市

しかし、華北を巡る金国との戦闘に連敗した北宋は、ついに1131年、金国の名将であった完顔奔睹(漢字名:完顔昂)により西域の領土をも奪われることとなった。

その金国もモンゴル軍の侵入に悩まされるようになり、1227年には完全にモンゴル支配地に組み込まれる。

モンゴル勢力を北へ駆逐した明朝は、1373年、今の西寧市中心部に西寧衛を開設する。

清代も明代の行政区がそのまま継承される。1725年、西寧州は西寧府へ改編される。

中華民国時代の1929年、西寧県を省都とする青海省が成立する。1946年に西寧県自体も西寧市制が採用され、今日に至ることとなる。

西寧市

なお、西寧市の中心部にあった西都県城(西平亭、西平郡城、西寧州城、西寧府城)であるが、現在は北城門と南側の城壁の一部のみが保存されているに過ぎず、他の城壁類はすべて撤去されてしまっている。しかし、かつての城郭都市時代の記憶はしっかりと今の路地名や地名に刻み込まれていた。南門体育館(バス停名)、西門(バス停名)、西大街、水井巷、北斗官街、南関街、南大街、前営街、后営街、南小街、下南関街、東関大街、北関街、観門街、飲馬街、北玉井巷、南玉井巷など。


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