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山西省陽泉市 ~ 人口 140万人、 一人当たり GDP 49,000 元


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  石艾県城(上艾県城、広陽県城、平定県城、平定軍城、平定州城)
  盂県城(仇県城、并州城、盂州城)
  楽平県城
  受陽県城



【 陽泉市の歴史 】

旧石器時代中期、当地一帯では、早くも人類の生息が確認されているという。

夏王朝、商(殷)王朝の時代、今の陽泉市一帯は古冀州の地に分類された。
春秋時代期には、今の陽泉市盂県一帯を拠点とする仇猶国が存在していた。

かつて、陽泉市一帯には5つの巨大な泉があり、年中、豊富な水量を湛えたため、漾泉と通称されていた。後に、陽泉へと変更されることとなる。

陽泉市

春秋時代末期の紀元前457年、晋国の貴族であった智伯が仇猶国を滅ぼし、一帯を併合する。
その晋国も、紀元前453年、配下の貴族らであった韓国、趙国、魏国により3分割され、滅亡へと追い込まれてしまう(時代区分としての戦国時代のスタート)。このとき、陽泉市エリアは、趙国の領土下に組み込まれた。

戦国時代期、軍事的必要性から、趙国により今の陽泉市中心部に平坦城が築城される。ここには、食糧や兵馬が常備され、軍事要塞として活用されることとなる。

秦代には太原郡に帰属された。前漢初期、今の陽泉市一帯に初めて上艾県(今の陽泉市平定県新城村)が新設される(并州下の太原郡に所属)。

陽泉市

時は下って後漢時代、上艾県は冀州下の常山国に属した。この常山国であるが、90年に後漢第4代皇帝の和帝(劉肇)が、淮陽頃王の劉昞の子である劉側(後漢第2代皇帝の明帝の孫にあたる)を常山殤王に封じたことにあわせ、常山郡から封国へ改編されたものである。

220年に後漢朝が滅び、魏国が建国されると、曹丕により常山国が廃止される。すぐに郡県制が導入され、今の陽泉市エリアの北側は新興郡に、南側は楽平郡(後に上常郡より分離・新設)に所属されることとなった(ともに并州の管轄内)。上地図。
西晋朝の治世下でも、曹魏時代の統治体制がそのまま踏襲される。

南北朝時代が始まり、華北地域は五胡十六国による内乱時代に突入する。陽泉市域は、前趙、後趙、冉魏、前燕、前秦、後燕、北魏、東魏、北斉など、目まぐるしく変遷する為政者らに翻弄されていくこととなる。

陽泉市

北魏朝の治世下、陽泉市エリアの南側は并州楽平郡石艾県(386年に上艾県から改名)に、北側は肆州新興郡定襄県に分かれて統括された。上地図。
南北朝時代を統一した隋代、今の陽泉市平定鎮娘子関鎮に葦澤県(井州に帰属)が新設されるも、後に廃止される。また、仇県(後に盂県へ改称)が新設され、石艾県(今の陽泉市平定県新城村)と共に遼州に所属された。

唐代の620年、初代皇帝の李渊により、この地に受州役所が開設され、盂県(州都を兼務)、受陽県、石艾県、楽平県を統括することとされた。これが、陽泉市エリアでの最初の州役所の開設となる。623年に州役所が受陽県城へ、625年には石艾県下の賽魚城へ移転されるも、 634年に廃止され、并州と太原府の行政区へ吸収合併された。
742年、石艾県が広陽県へ改称され、あわせて県役所が今の晋中市昔陽県広陽村へ移転される。

五代十国時代期、後唐、後晋、後漢、北漢など、その支配者は短期間で交代していった。

陽泉市 陽泉市

960年の陳橋の変を経て、趙匡胤が後周朝から権力禅譲を受け北宋を建国する。
趙匡胤の治世下、五代十国時代に覇を競い合った諸国を次々に併合するも、976年に趙匡胤が死去すると、第2代皇帝として趙匡義が太宗に即位する。そして979年、最後まで残った北漢政権(現在の太原市を本拠地とした)を滅ぼし、中国の再統一を成就する。
この直後、広陽県が平定県へ改名され、平定県城内に平定軍役所が併設されることとなる。このとき、盂県は并州(現在の太原市)に組み込まれ、別行政区に分類されるも、大枠としては河東路の統括下に所属された。

金代、平定軍が平定州へ昇格され、平定県と楽平県の2県を統括した。また、盂県城内に新たに盂州が新設される(それぞれ河東路、河東北路に属した)。
元代には、共に冀寧路の管轄下に置かれる。

明代、盂州が盂県へ降格され、また、平定州と同様に、山西省太原府の監督下となる。
清代の1724年、平定州が直隷州へ昇格され、その下に平定県と盂県(下絵図)、受陽県の3県が配された(そのまま山西省に所属)。

陽泉市

中華民国が建国された当初、平定県と盂県へ改編され、最初は山西省冀寧道に、後に山西省の帰属とされた。
1905年に正太鉄道が開通し、現在の陽泉市中心部に鉄道駅が開設される。交通機関の発展と、鉱山開発・鉄鉱産業による一大工業地帯となり、山西省内でも最も近代工業が発達した都市へと変貌していった。1947年に現在の陽泉市制がスタートする。


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