『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2014年5月中旬 『大陸西遊記』~


湖南省常徳市 ~ 人口 610万人、 一人当たり GDP 42,000 元


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  常徳府城(武陵郡城・臨沅県城)
  現存する城壁跡
  東側城壁と日中戦争時代のトーチカ跡
  後漢末、張飛により改修された井戸、四眼井(三国志遺跡)
  中国人が住みたい街 全国ベスト3の常徳市!
  鼎城区と孤峯塔
  常徳桃源空港



さて、現在の常徳市の中心街は 武陵区 であり、これは沅江が大きくカーブするその角先に築城されていた。春秋戦国時代、この地を占領した秦国により、現在の東門跡付近に最初の城郭が築城されたようである。明代初期に現在の規模まで拡張される。

通常の城壁都市では、防御上の観点から、三方が川に挟まれた対岸側に築城されるものだが、この武陵城はなぜか大河の蛇行を防御に活用し切れていない気がする。
地図を見ていると、秦代に最初に築城された東門エリアが、沅江と姻縁橋河との合流ポイントであったことが分かる。水運の地「荊州」だけあって、 常徳市の回りだけでも、大小たくさんの湖水や河川が存在する。古城の防備は、この水郷エリアに囲まれた北岸が選択された理由も自ずと見えてきた。

常徳市

常徳市


さて、古城 の跡であるが、ここはさすがに古来より沅江の水運拠点であり、宋代より「常徳府城」という行政の中心地をも担っただけあって、相当に巨大な城壁が張り巡らされていたようである。洞庭湖西岸の最大商業都市の地位を築いた今日においても、その城壁片がまだ旧市街地に残されていた(南東部分に主に3箇所)。

南側の河沿いの城壁(80m)は一部、きれいに修繕されたものだった(下写真)。

常徳市 常徳市

南東隅と東側の城壁部分は古城時代当時のままの状態で、それが住民の生活の一部に溶け込んでいた。 駐車場の壁や、住宅街の庭や垣根の一部となっていたり。。。。下写真。

常徳市 常徳市
常徳市 常徳市

下写真左は、現在、濱湖公園の池となってる。ここは古城時代の外濠跡。 かつての二重の堀川をつなげて公園化したもの。ボート遊び用の池やテニスコート、 住宅地などになっている。

常徳市 常徳市

上写真右は「水星楼巷」という路地。ここの城壁部分には、調元楼という城壁楼閣が建てられていたが、その下にあるはずの城門のない、ただ上に建設されただけの城壁楼閣だったらしい(1630年)。それが火事で焼け落ち、一階部分の基礎をもとに、再度、城壁楼閣が建てられた(1668年)のだが、その名前を「水星楼」といったようである。楼閣自体は現存せず。
同じく河沿いの春申閣の近くに、「古城巷」という路地名が残る。

城壁都市の最南東側には洞庭大道があり、この沿いに 城門口路 という路地名が残る。東門がある城壁前にあった通りであろう。
河沿いにここまで城壁があった、ということである。歩いてみると分かるが、相当に大きな城壁都市である(城壁の総延長は 20km近くにもなった)。この南東部分~東門あたりの一帯は、かなりよい状態で城壁跡をなぞることができる。

また、東門あたりに、日中戦争時代のトーチカあり。城壁部分に貼り付ける形で設営されていたようである。


ここ常徳城での攻防戦は、日中戦争時、激烈を極めた(16日間にも及ぶ)。長期戦を避けたい日本軍によって、国際条約上、禁止されている毒ガス兵器も使用されたとも言われる。常徳歴史博物館に日中戦争に関する展示室スペースあり。


また、下の写真は、小西門あたりの城壁跡の通り(四眼井街)にあった井戸跡。
かつて劉備の命を受けて張飛が武陵城(臨沅城)を改修工事中、市民の生活用の井戸もあわせて修繕したと言い伝えのある井戸である。なぜ、この井戸の名を「四眼井」というのか。その語源的解説に感心した。すなわち、写真のような井戸の土台に、六角形の木製の蓋をして、その蓋の平面部分に4つの穴を開けていたようである。こうすることで、井戸内の汚れを防ぎ、かつ人が落ちないように安全対策となり、そして、多くの人が(順番に並んで)一度に使えるようになった、ということだ。前漢時代に最初に掘られたもので、この当時から4つ目の蓋があったらしい。戦火で破壊されてしまったため、張飛が城内改修にあわせて、井戸の再整備をおこなった。これを記念して、井戸の内部の石に「張飛重建」という文字を彫らせた、という。



そして、さらに西側へ移動し、大西門跡(下写真左の交差点)の付近を散策。ここから河の方へ行くと、対岸の鼎城区への舟渡し場がある(下写真右)。

常徳市 常徳市

この西側の城壁エリアには、「僑城墙巷」、「北風防」という路地名が残っていた。城壁は完全に跡形もない。
また、古城エリアの中心部に、「王府巷」という路地も残る。ここは明代に常徳府の役所が設置されていたことに由来する。


常徳市街区は 車道 が3車線や2車線が多く、非常に広々とした都市設計となっているわりに、通行する自動車の数にまだまだ余裕があり、かなりゆったりしたスペースを感じる街である。上海、広州のような大渋滞はここでは起こらない。 道路脇の遊歩道も広めに作られており、歩行者が少ないこともあり、歩行者も広いスペースをゆっくりと散歩できる、優雅な雰囲気の街だ(洞庭大道の歩道には自転車専用レーンも設けられていた)。メインストリート以外の旧市街地の路地は、相変わらず、ごちゃごちゃした構造になっていたが、人通りは少ない。

常徳市は、中国でも3番目に人気のある居住都市という統計データがある。湖南省の他の地域と比べても空気がきれい、人口規模も500万~600万と巨大、家賃(不動産価格も含む)相場も安い。道路はゆったりして落ち着いて運転でき、郊外の農村地帯も近く、レクリエーションにもいい。
そして、湖南美人が多い。

下写真左は、路線バス①。車輪が3列、乗降口も3つある(実際は、最後尾のドアは利用されていなかった)、という巨体が、10分に一本の割合で、武陵区を東西に往復している。
下写真右は、市内繁華街の超中心部である、人民路と郎州路との交差点にあるケンタッキーの向かい3Fにあるブュッフェ・レストラン「香菇兄弟」。一人58元で食べ放題。昼は11:00~14:00、夜は17:00~20:00(20:30には食事が下げられる)。


武陵大道沿いの常徳列車駅の付近で、「円周率ランプ販売店」という変わったショップ名を発見(下写真左)。下写真右は、市内のショッピング・エリアのメイン・ストリート、人民路。


この繁華街地区には、日系の味千ラーメンも出店されていた。客の入りは最悪で、夜のピーク時間でも50%ない。
また、この中心街のど真ん中に、イスラム系民族のホテル「常徳清真第一春賓館(1968年に回民飯店より改名)」があった。フロントの女性陣もベールを被っていた。下写真。


公共バスは、市街地では決まった停留所での乗り降りだが、郊外へ行けば(鼎城区など)、どこでも乗り降り可能(手を挙げて乗車する)。


一方で、対岸の鼎城区は、経済水準と生活文化自体が異なる郊外タウンといった趣き。 河を挟んで、ここまで街の雰囲気が異なるか。。。とちょっとびっくり。かなり地方都市の趣である(下写真)。



この鼎城区の南方に、400年の歴史を持つ塔が立つ。
その名を、孤峯塔という。明代の1607年、当時の悪化する世相、および治水を祈願すべく、常徳府司により文峯塔の建設が進められた。下写真手前のような、高さ 16mにもなる 8方形の石塔であった。その後、戦火や風化により倒壊してしまう。日中戦争期間中、この小山エリアでも激戦が繰り広げられた。そして、1988年に市民の強い要望により、今日のような楼閣型の塔へと再建されることになったわけである。

常徳市


すぐ下には沅江が迫る(下写真左)。
下写真右は、孤峯塔と同じ山頂に建立された乾明寺。全く人の気配がなかった。


上写真右は、中学校の校門である。もちろん、孤峯塔地区にあり、周囲に溶け込むようにデザインされている。

また、いつも思うことだが、中国の大学や専門学校系は、市内から遠く離れた郊外(農村地帯とか、新開発された山岳エリアとか)にある。路線バス①の西側発着点に常徳職業訓練学校が設置されているのだが、街中から相当に遠い。
学生を目の前の欲望から遠ざけて学問だけに集中させるという意味ではいいかもしれないが、「生きた経済や社会(俗世)」を勉強できる環境が乏しくなる。街中の最新流行や人々の言動を浴びて、センスも磨かれる、というものではないだろうか。

ちょうど、古典を猛勉強して科挙に合格した朝廷のエリート官僚らが翻訳した英語の漢語訳は 全く定着せず、逆に、市井の人々の言葉のセンスから語彙を選び取っていった明治期の 日本の知識人らが翻訳した漢語訳が大陸中国でも広く受け入れられた、というエピソードに象徴されていよう。


あと、この常徳市の特徴は、BRD という公共バス路線の快速版を持つことである。本来なら、路面電車かモノレールであるであろうが、ここは「バス」が走る。



常徳桃源空港は、2014年5月現在、心なしか、地元のバスターミナル・レベルの小ささ。搭乗手続後の待合室(上写真左)から、飛行機まで歩いて乗り込む(上写真右)。
到着客を待つタクシーもない(上写真中)。市内⇔空港の交通が相当に不便な状態であった。
市内からこの空港に到着するための道路も、農村道を通ってきた。
おそらく、空港専用の大通りを今なお、整備中なのだろう。
また、空港内で唯一の売店で、750mlのペットボトル水を買った。スーパーだと1.5元、露店で2元のものが、ここでは5元。皆、ここしか売店がないのでしぶしぶ購入していた。少なくとも、女性店員の愛想がよければちょっと納得いくだろうが、普通に中国スタイル。唯一、搭乗券チェックの公務員女性だけは感じがよかったが、航空会社の発券カウンターを含め、皆、やる気なし。


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