BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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訪問日:2014年5月中旬 『大陸西遊記』~


湖南省 常徳市 漢寿県 ~ 県内人口 62.5万人、 一人当たり GDP 5,000 元(漢寿県)


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  漢寿県城(呉寿県城、龍陽県城)
  スッポンの 名産地
  沅江大橋



秦代、黔中郡に帰属された(春秋戦国時代は楚に属した)。前漢代、武陵郡が 索県城 を統括していた。そして後漢時代の134年に、索県は「漢寿県」へ改名される。この名は、漢王朝が永久に衰退することなく栄華が持続しますように、という願をかけた意味らしい。また県役所も鼎城区断港頭へ移転されたようである。このころ、後漢末の戦乱が激しくなり、 索県城は間もなく廃城に追い込まれたという。

漢寿県

そして、三国時代。引き続き、武陵郡に帰属した。
219年の関羽死後、呉が荊州を領有した後、呉は「漢寿県」を「呉寿県」へ改名する。248年には、さらに「龍陽県」へと改名される。このときから県城は、この後の漢寿県となる現在地に設置された。
そして、晋の統一後、県役所はそのままで地名のみ「漢寿県」へ戻される。


北宋時代末期の1110年ごろ、辰陽県と改名されるも、すぐ直後の1113年、再び「龍陽県」へ戻される。
南宋時代となった 1135年、長江以北にある金王朝に対抗する前戦基地として軍直轄となり、黄城寨へ統治拠点が移設される。1160年、軍統括が停止され、再び、現在地に県役場が 復活設置される。
1295年の元王朝時代には、常徳路に帰属する州都へ格上げされ、 沅江県城が州都を兼務することとなる。1370年の明王朝の時代、以前の行政区通り、県城へと降格される。
そして清滅亡後の中華民国政府により、1912年、龍陽から漢寿へと改名されて、今日に至る。今でも、同地のことを「龍陽」と古称で表現されることもある。

漢寿県

さて、漢寿県城跡だが、かつての城壁は完全に撤去されている。しかし、旧市街地内の路地には、かつての地名が数多く残る。「城壁街(下写真左)」「柑子園巷(みかん園通り)」「小碼頭巷(城壁北側の堀川跡)」「本院巷」「文昌巷」「米場巷」「南湖路(かつての県役場の南側に池がある庭園があったと推察される)」などなど。

漢寿県 漢寿県
漢寿県 漢寿県
漢寿県 漢寿県

この漢寿の街、実は「スッポン」が豊富な街で有名らしい。小さいものから巨大なものまで、重量単位で売られていた。。。。市場で毎日、普通に売買されている。
写真左は、城壁西門側にある市場。

漢寿県 漢寿県

下写真左は、城壁東側にある市場。城壁北側には、キリスト教会があった(下写真右)。湖南省にはいろんな街に必ず大きな教会が建てられているのを目にする。こんな小さな街にもあった。

漢寿県 漢寿県

この街の中心部は、旧城壁都市時代から中央市場的な役割を担ったであろう「銀鑫大市場(下写真左)」とその横の歩行街、米場街の一帯である。また、下写真右は、中心街のメインストリート「南岳路」。その先の突当りが、「辰陽中路」との交差点。

漢寿県 漢寿県

ケンタッキーやマクドナルドは未だ進出していない(2014年5月現在)が、中国ローカルのファ―ストフード店と台湾系のDicsがあった。その他、寿司&ビザ屋がくっついたファーストフード店もあった(辰陽中路沿い)。写真の黄色の箇所が中央商店街。

それ以外は、すべて超ローカル。街中は砂埃と排気ガスが充満する、空気の悪い地方都市の典型であるが、その排気ガスともども道路脇で食事するのが日常化している。

漢寿県


市内には 路線バス が①~④のみ。
すべては市内南側にある長距離バスターミナルの脇にある停留所が発着の起点となっている。
路線バス②③の終着点は、東門市場より少し東へ行った郊外へ(大型ダンプカーが出入りし、砂埃が全開だった―よくこんな路辺でも食事しているものだ。。。)。
路線バス①④の終着点は、市街地を通過して北側へ、沅江大橋の近くまで。
ついでなので、沅江大橋を渡って沅江を視察。全長 2,728 メートルある大橋である。しかし、河幅の4分の1ぐらいしか水量はない。この河は、広西省 桂林重慶 方面の山地から水源を発し、常徳市 を通過している。このような大河が普通に流れているのが、大陸中国の醍醐味。

漢寿県 漢寿県

 ※ 路線バスは、市街地内や郊外含め、どこでも乗り降り可能(手を挙げて乗車する)。

この辺りの郊外まで行けば、排ガスの臭いは薄らぐが、肥料のにおいが勝っているだけなのか。漢寿県ではまだまだ周囲に広大な農村地帯が占めている。時折、大きな(本当に巨体!)水牛を連れた農夫が、大きな車道を横切ることもままある。自動車の運転手たちは驚くことなく、日常の風物詩として認識している様子だった。


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