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訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~


四川省徳陽市羅江 ~ 鎮内人口 24万人、鎮内 一人当たり GDP 14,000 元


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  羅江県城(万安駅)
  龐統墓(三国志遺跡)



三国時代を統一した晋王朝時代、これに反逆して建国された成漢国より、304年、万安県が設置され(県役所は新設された梓潼水尾万安故城に設置)、羅江一帯はその管轄下とされたようであるが、すでにこの地は河川交易の一拠点として一定の集落規模を有していたと推察される。唐代の742年、羅江県と改名され、この地に県役所が開設された。ちなみに、この地名は、近くを流れる羅江(隋時代に命名された)から命名されているそうだ。

その後、清の時代には、徳陽県 に併合されたり、再分離されたりを繰り返す。清滅亡の中華民国時代、その戦乱の最中にあって、四川省でも辺境に位置し、全く戦火を被ることなく平穏に乗り切ったようである。

さてさて、この地の三国志遺跡は、その名も知れた「龐統墓」。
白水関を奪取後、劉備軍は涪城(現、綿陽市)を攻略し、そのまま南下して、綿竹城、雒城へ進軍するが、その道中の山間道「白馬関」にて、軍師「龐統」が伏兵に遭遇し、大量の矢を浴びて戦死したとされる(享年36歳)。この地は「落鳳坡」と呼ばれ、劉備に手厚く葬られた、という。

さて、この羅江一帯であるが、三国時代当時、諸葛孔明、劉備、趙雲、姜維などなど、蜀漢の蒼々たる大物たちが、成都や漢中、涪城などを通過する際に滞在、もしくは訪問したことであろう。それだけ、蜀の地にあって、陸路交通の要衝であった場所である。


徳陽市羅江

なお、この羅江県城であるが、城壁はすべて撤去されてしまっているが、わずかながらの路地にその名残を残すのみ、となっていた。西街、東街、北街。


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