『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2014年12月中旬 『大陸西遊記』~


浙江省温州市鹿城区 ~ 人口 920万人、 一人当たり GDP 50,000 元


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  温州城(永嘉郡城)
  旧市街地の今
  華盖山と防空壕、古井戸
  中山公園
  五馬街と下町エリア
  郭公山と郭璞(温州城の父)
  江心屿
  牛山公園
  永昌堡(対倭寇の軍事要塞)



ほとんどの温州訪問者は、高速鉄道か温州空港を利用するものと思われる。 上海 虹橋駅から温州南駅まで4時間半(178元ぐらい)。ちょうど温州南駅のやや北側で例の「衝突脱線車両の埋め立て事件(2011年7月23日)」 が起きたわけであるが、今ではもう誰も気にする人がいない様子であった。
温州南駅に到着後、筆者は7天ホテルに投宿すべく、六本虹橋路を通過する91番路線バス(類東大街ー翠微大道沿いで下車)か82番路線バス(六虹橋路) に乗車した。
温州市内の路線バスは、すべて一律2元だ。バスは営業時間が夜20時前にはすべて終了してしまうので、 夜遅くまで街歩きする場合は、タクシー利用が必須となるだろう。温州内のタクシーは、他の地方都市と同じく、 シロタクと化す。また、他の客との相乗りも頻繁にある。

ただし、中国政府によるシロタク取締り政策が功を奏し、高速鉄道駅や温州空港からタクシー乗車する場合、 きちんとタクシー乗り場から並んで乗れば、メーター制での支払いとなる。 だが、警察らの目が行き届かない深夜到着によるタクシー利用や、街中でのタクシー乗車では、 シロタクとなり毎回の値段交渉が必須となる。 シロタクと化したタクシーを利用する場合、空港(この空港は温州の資産家らが出資し合って建設した民間空港として有名) からは80元ぐらいである。

通常の温州訪問者は観光目的ではなく、同地の工場や企業訪問を目的とされるケースが大いに違いない。 何せ温州商人の街、対外貿易や商取引が活発な地である。 しかし、同地の歴史にちょっとだけ目を向けてみるとき、そのユニークな史実に魅せられることになるだろう。


さて、下の写真は、清代の 温州城内 の様子。

かつては、この城壁都市内を縦横に小川や運河が通っていた。そして、街中にはたくさんの橋が設けられていたようである。下の地図内にある□□□□□の箇所は、すべて橋を示す。

なお、現在はすべて埋め立てされており、かつての水の都の面影はない。しかし路地名には、「橋」の名のつく地名や四つ角、路地などが多く、かつての名残が色濃く反映されていた。

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さて、今日の城壁都市の姿であるが、城門、城壁はすべて撤去されてはいるものの、その跡地には広い大通りが設けられているー西面の九山路、南面の人民路、東面の中山公園、北面の瓶江沿いの望江路。外周の堀川は今日でも残されており、かつての城域を明確に示していた。西の堀川は「九山湖」、南は花柳塘、東は遊園地(中山公園)の池となっている。

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下の写真は、南面の堀川跡。人民路沿いの小南門から城外へ出たところ。
写真右のビル名は、「パリ・ビル」。
実情はともかく、命名の意気込みに一票!

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なお、温州城域は相当に広かったようだ。徒歩で 旧城壁内 を散策するだけで2時間はかかる。

東晋王朝下の323年に永嘉郡城として築城されて以来、この地域の政治・経済の中心部を成した旧市街であるが、今日でもその面影は路地名に数多く見られた。環城東路、象門街、西門天守教堂、西城路、府学巷、県学前、県剪頭、鼓楼街、府前街、倉后、倉橋街、三官殿街(かつて役人街があった)、四営堂巷、徐衛巷、大士門、五馬街など。

下の写真は、三官殿街の路地の風景。まだまだ下町が広がる一帯で、パジャマ姿で行き交うローカルな人々や、木槌などの木材製品を作る職人なども健在だ。

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また、県后街や県前頭の通り名から、この団地一帯に、昔、県役所があったことがわかる。

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また、県前頭通りの東側には、海壜山 がある。この山は、現在、内部を貫通されて、歩行者商店街と自動車道路が設けられていた(下写真左)。その名「人防隊道」から、かつて日中戦争時代の防空壕跡であることが分かる。
なお、下写真の右は、城域内の各所にある公共自転車。結構、市民らは頻繁に利用しているようで、市内は高低差がなく平坦で、近所へ出かけるのに最も便利な移動手段である。ここまで市民に重宝されている公共自転車サービスは初めて見た。

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また、海壜山の南側にある華盖山の付近には、井戸が複数、残されていた。
案内版によると、築城当時、24カ所の井戸があったらしい。今日現在でも、中にはまだ水が十分にあり、市民によって金魚が放し飼いにされていた。水もきれいだ。

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ちょうど海壜山と華盖山の間に、鎮海門(東門)が設置されていたわけで、今でも城外に東門巷という路地が残る。城壁都市時代、街の東側に役所や官庁街、県営学校(県学巷の路地も残る)などがあった。

ここから南へ移動すると、中山公園 へ出る。その外側にはかつての堀川跡も残る(下写真左)。下写真左の奥に見える小高い山が中山公園で、この山頂に「留雲亭」がある(下写真右)。これは清代から設置されていたもので、当時の城壁都市内では最も高い位置にあり、市民らの憩いの場所であったらしい。城壁はこの小山と堀川の間を通って建設されていた。

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城内には永寧県役所とは別に、温州府役所もあり、ちょうど県役所の西隣で、今の五馬街のやや上に開設されていた。府前街が旧市街地の南北を通っているが、ちょうど府役所(区公安分局と実験中学の一帯)の正面通りに相当し、かつての府役所の敷地を取り壊して、現在の通りは北へ延伸されたものである。
これと平行して旧市街地を南北に通るのが信河街であり、これは文字通り、かつてあった河川の跡である。

ちょうど、この 信河街 と府前街、そして南側の人民路(下写真右、かつての南面城壁跡)に囲まれた一帯が、温州市内でも最も大きな繁華街となっている。
特に、五馬街は歩行者天国として温州随一のショッピング・エリアを形成している(下写真中)。
なお、五馬街の由来であるが、明代の永嘉郡長の王義之が役所から出入りする際、常に五頭の馬車(下写真左)で移動していたため、ちょうど郡役所(清代に府役所となる)の正面玄関付近の住人らはいつもひれ伏し、五頭の馬車をやり過ごしたという故事にちなみ、この付近の通りは五馬街と通称されるようになったとのことだ。別名では中山路とか紅衛路などとも呼称されたこともあったらしい。
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五馬街から北側の一帯は、古い住宅街が保存された下町エリアが広がる。

中国風伝統家屋や近代期に建設されたであろう西洋風建築物まで残されており、これらが再利用される形で、商店街や住宅として利用されていた。これら古建築物の屋根を見ると、共産党時代の星印が彫られた建築物であったことが分かる(下写真左)。また、あるホテルの屋根には、「○帝万歳」の文字が彫られていた。。。。
下写真右は、温州伝統家屋である。ここにも共産党マークが入り口に顕示されていた。 商売人の温州人たちは国民党政権の敗退後、共産党政権に取り入って生き残ろうと必死だったのであろう。

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南面の城壁沿いに開拓された 人民路 であるが、この通り沿いにある大南門跡の交差点に温州国際酒店があり、ここのテナントとしてピザハット、スターバックスなどの米系資本が入り、その周辺のデパート内にケンタッキーや、マクドナルド、香港系薬局チェーンWatsonsなどが入居していた。

なお、下写真左は、郭公山と「温州建城の父」郭璞の石像。その後ろを瓶河が流れる。また、写真右は、古城跡の西南の端にある松台山(ビルの奥側に見える)の前にあった異様な風情の高層ビル。旧市街地の風情を大事にしようなどと微塵とも考えない中国の現在社会の実態を象徴するかのような風景だった。

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下の写真は、古城跡の北に流れる瓶河に浮かぶ島、江心屿 の全景。温州で最も有名な観光地となっている。昔は島は東西に分かれて二つあった。南宋時代の1137年、僧侶が民衆の力を借りて東西の島の接続工事を敢行し、一つの島が完成するに至ったという。東側の島には普寂禅院(北宋末期)が、西側の島には浄信禅寺(唐末期)がそれぞれ建立されていたが、島が一つになったとき、東塔と西塔へと置き換えられ、逆に、埋め立てた中川部分に中川寺(通称、江心寺)が建立されることになったわけである。

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なお、その江心屿のちょうど対岸の望江路沿いに現代中国を象徴する一つのビルを発見した(下写真左)。メインは港航行政(China Transportation、正式名称:温州市港航管理局)の入居するものであろうが、なんとその両脇に高級料亭とナイト・クラブを堂々と併設していた!!
昼間は官業に励み、夜はその接待で階下へと、何とも都合のよい総合施設である(実際は、単なる薄っぺらい一つのビルなのだが)!

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また上写真の右は、温州市内のバス停にある路線案内板である。各バスの停留所と移動ルートが地図入りで各路線ごとに表示されており、最高に見やすかった!!温州で最も感動したポイントの一つであった!

なお、この バス路線マップ からも分かる通り、温州市域はたくさんの水路や川、湖、水路が張り巡らされている。バスに乗っていても、数分おきにいろんな橋を渡ることになり、水の豊富な街ぶりを痛感することになる。近代以降に大部分が埋め立てされたわけであり、以前はもっと水の豊富な土地柄であったに違いない。


温州市街地の南側に牛山公園がある。かなりの急斜面な山上に社殿が建てられていた(下写真左の最高頂の上)。また道教的価値観からなのか、異宗教にも寛容なようで、そのすぐ下の山麓にはキリスト教会があった(下写真右)。山上には道教寺院の社殿が見える。

なお、温州は中国でも屈指のキリスト教の浸透度が高い地域で、中国政府の神経を逆なでしているらしい。 2014年末にニュースになったが、違法建築物として教会の上にある十字架はすべて撤去させられ、また、クリスマス・イベントも禁止されるほどの「弾圧」を受けているという。

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下の地図は、明代の温州付近の様子を描いたものである。海岸線にいくつかの砦や 軍事要塞 が見えるが、これは倭寇対策として築城されたものである。

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海岸に近い温州空港のそばに、明代に築城された対倭寇用の軍事要塞跡(永昌堡など)が今も残されており、観光地として公開されている。城壁の保存状態も良好である。市街地からは21番バスで空港近くまで移動し、そこからバイタ・タクシーで5元。


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