BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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訪問日:2015年11月上旬 『大陸西遊記』~


浙江省 寧波市 鄞州区 ~ 区内人口 80万人、 一人当たり GDP 105,000 元(寧波市 全体)


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  【初代】鄮県城
  【初代】鄞県城(【2代目】句章県城、【2代目】鄮県城、【初代】明州城)



【 鄮県城跡 】

鄞州区

現在の寧波市鄞州区五郷鎮同岙村の、東西と北面を山に囲まれ 谷間地区(かつては鄮廓と呼称されていた)に、紀元前 221年、秦の始皇帝により、鄮県役所(会稽郡に所属)が開設される(上地図)。

鄞州区

その行政区は、今の寧波市江東区および 鄞州区東部、北倉区、舟山諸島 一帯に及んだ(上地図)。

鄞州区

隋代初期に廃城となるまで県城が設置されていた場所であるが、今では全くその面影すら見られない。山合いに囲まれた村落と田畑、墓地が連なるだけの一帯である。下写真。

鄞州区 鄞州区
鄞州区 鄞州区

また、寧波市中心部へ続く 幹線道路(五郷東路)と 宝同路の一帯は、小規模な工場地帯を形成していた。下写真。

鄞州区 鄞州区
鄞州区 鄞州区

後漢末期、江東地方を席巻した孫策が会稽郡太守を自称した時代、その配下の一県城として同時代を過ごした鄮県城も、隋代の 589年、会稽郡が呉州へ改称される際に、鄞県(今の 寧波市鄞州区鄞江鎮。灌漑遺跡の它山堰で有名な場所。)と 余姚県 と共に廃止され、鄞県城内に臨時併設されていた句章県役所の管轄下として統合されることとなる。

唐代の625年、句章県が鄮県へ改称される。県役所はそのまま 小溪鎮(今の 寧波市鄞州区鄞江鎮)に置かれた。
しかし、738年には鄮県から 慈溪県翁山県(今の 舟山市定海区)、奉化県の3県が分離・新設される。このとき、新設された明州の州役所が 鄮県城内(今の 寧波市鄞州区鄞江鎮)に併設された。

そして、ついに771年、鄮県の県役所が三江口(今の 寧波市の中心部)へ移転され、続いて 821年に明州の州役所も三江口へ移転されるに及び、現在の 寧波市海曙区 が中心都市として不動の地位を固めることとなる。唐滅亡後の後梁朝の治世下の909年、鄮県は鄞県へ改称される。

鄞州区

帰りは、155番バスの終点「麦徳龍」バスターミナルで下車して、タクシーで、寧波市鄞州区首南中路 1000号(鄞州公園内)にある寧波博物館へ移動した(12元)。


  交通アクセス

寧波市鄞州区の鄞州バスターミナルから北へ徒歩 1分の所にある、小規模な「麦徳龍」バスターミナルで、路線バス 155番に乗車する(2元)。

寧波市の古城地区 からのアクセスは、地下鉄の青色ラインの終点「東環南路駅」で下車し、そのまま路線バス 155番に乗り変えればよい(2015年11月現在、地下鉄の延伸工事中で、さらに東へ徒歩 10分ほど進み、東環南路と五郷西路の交差点のやや東側でバス乗車する)。「宝幢」もしくは「宝幢市場」のバス停で下車する(約 20分)。




(初代)鄞県、(2代目)句章県城、(2代目)鄮県城、(初代)明州城

鄞州区

隋代の589年に句章県城が転入され、唐代後期の821年に 鄮県城(明州城) が今の寧波市中心部へ移転されるまで、県城が開設されていた寧波市鄞州区鄞江鎮であるが、ここは古代水利事業の它山堰遺跡が残ることでも有名な場所だ。

秦代に設置されていた 鄞県城内(它山堰の河川堤防を利用する形で城壁が構築されていた)に、東晋朝の将軍であった劉裕(後の 420年、東晋朝から権力禅譲を受け宋朝を建国する人物)により、反乱軍の討伐戦の際に荒廃してしまった【初代】句章県城(今の 寧波市江北区城山村と 城山渡の一帯)の県役所が、401年、臨時に当地へ移転・併設される。ちょうど、現在の鄞江鎮鄞東村、地元では古城畈と通称される一帯(ビール工場付近)である。

南北朝時代を統一した隋朝により、鄞県、鄮県、余姚県 の 3県が廃止されると、当地に臨時開設されていた句章県役所に行政機能が統合される。当時、県城の西側には它山があったため、小溪鎮とも、它山鎮とも通称されていたらしい。

鄞州区

鄞州区

唐代初期の738年、明州が新設され、その州役所が 鄮県城(625年に句章県から改称されていた)内に開設される。
771年には鄮県役所が 三江口(今の 寧波市中心部)へ移転されるも、明州役所はそのまま当地に残された。

しかし、821年には鄮県役所が小溪鎮へ戻され、逆に明州役所が三江口へ移転されることとなる。このころ、小溪鎮は光溪鎮へ改名されている。
五代十国時代初期の 909年、後梁朝により、鄮県役所が再び、三江口へ移転されるに及び、光溪鎮の県城は放棄されることとなった。

隋唐代には、浙東地区の政治・経済の中心拠点として大いに栄えた当地も、これ以降は衰退の一途をたどる。清代には通運郷と呼称された集落が存在していたようである。
最終的に、清朝の最晩年である 1911年に、鄞江鎮へ改称されるに至る。


  交通アクセス

寧波市海曙区 にある寧波南バスターミナル(寧波鉄道駅と連結)より、路線バス 634番に乗車。

もしくは、寧波市鄞州区の鄞州バスターミナルから北へ徒歩1分の所にある、「麦徳龍」バスターミナルで、路線バス 627番に乗車。



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