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訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


デンマーク王国 ヘルシンゲル市 ~ 人口 6.1万人、 一人当たり GDP 40,000 USD (国全体)


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  クロンボー城塞の外郭
  クロンボー城塞の内郭
  迫力満点の地下牢
  デンマーク史の中のクロンボー城塞
  クロンボー城塞の全景
  対岸にあるスウェーデン・ヘルシンボリ市へ




終点のヘルシンゲル駅に到着後、ここから進行方向に見える、クロンボー城塞を目指して歩く(約10分)。
筆者の訪問した季節が冬2月だったので、海風が強烈に肌に痛かった。

クロンボー城塞だが、外側の土塁部分は無料で散策できる(ゆっくり見て回って15分程度)。所々に大砲のレプリカや、弾薬庫跡などが散見される。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市
ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市
ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

なお、要塞内の城館は入場料 90 DKKかかる。土産物屋を兼ねたチケット売り場内には、 1420年の築城期からのクロンボー城塞の変遷史がデジタル映像で解説されていた。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

城館内は、王や王妃の広間がある(上写真)。国王の滞在も想定して、執務室、寝室、舞踏会場なども設置されていた。 1760~1763年、実際にフレデリク5世が事故でケガした足の療養のため一時滞在したことがあったが、基本的には国王の正式な居住記録はこの3年間だけで、 あとは一時的な立ち寄り程度だったらしい。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

また、地下牢は、なかなか見応えがある(上写真左)。
インディージョーンズの地下洞窟冒険の感じだった。オイル・ランプが転々と設置されているだけの、お化け屋敷みたいな印象。一人で入ると、かなり怖い。
この地下施設は、ちょうど、城館を守る内堀の城壁内部にあたる(上写真右)。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

そもそも、当地に要塞が建設されたのは、1420年代という。
当時、デンマークは北欧スカンジナビア半島全域からバルト海にかけて大帝国を築き上げており、現在のスウェーデンとノルウェー一帯を支配していた(カルマル同盟 1397~1523年)。上地図。

カルマル同盟の初代君主エーリク7世は、その余勢をかって、デンマークと陸続きのユトランド半島(現在のドイツ・キール一帯)にあったシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国の併合を目指し、神聖ローマ帝国と対立し、多くの戦費を費やすこととなる。

この莫大な出費を補填すべく、属国のスウェーデンとノルウェーに重税を課したわけであるが、その一環として、自身の帝国の入り口であるエーレスンド海峡に「税関」を設置するに至る。当地を航行する船舶に海峡通行税を納付させることとしたのである(結果的に、巨額の税収の確保に成功する)。この海峡は幅7kmしかない狭いもので、その両岸に監視用の城塞が建設された。

ヘルシンゲル市

これが現在のデンマーク・ヘルシンゲルにあるクロンボー城塞と、スウェーデン・ヘルシンボリ にある シェールナン城塞 である。当時、これらは単にクローゲン(要塞)と呼称されるに過ぎなかった。デンマーク側の要塞に税関が開設され、ヘルシンボリ側は監視台的なものとされた。

それから150年以上が過ぎ、デンマーク王家の支配にもほころびが生じ、対岸のスウェーデン王国内で分離・独立の反乱が頻発することとなる(1523年、正式に独立)。台頭するスウェーデン勢に対抗すべく、デンマーク・ヘルシンゲルにあった徴税用の要塞クローゲンが軍事要塞へと大改修される(1574年~1585年)。この頃から、クロンボー城塞と通称されるようになった。下絵図。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

同時に、対岸のシェールナン城塞も大改修が加えられる。この時代、スカンジナビア半島の南端部で最も肥沃な土地であったスコーネ地方(現スウェーデン・ヘルシンボリ市を含む)は、引き続き、デンマーク王国の支配下にあり、クロンボー城とあわせて、エーレスンド海峡の支配権確保に重要な役割を担っていた。下地図。

ヘルシンゲル市

ドイツで三十年戦争(1618~1648年)が勃発すると、これに介入して、デンマーク王国もドイツ勢力やスウェーデンとの長期戦争に突入する。デンマークは劣勢に立たされ、国力と国威を大いに損じ、さらに続くスウェーデン(カール2世)とのバルト海の覇権をかけた戦い(1657~1658年)でも敗退し、ヨーロッパの小国へと転落していった。
特に、このスウェーデンとの第1次デンマーク戦争中に、クロンボー城塞も占領されてしまう。
最終的に、デンマークの全面降伏の形で締結されたロスキレ条約により、デンマークはスカンジナビア半島南端部のスコーネ地方を、スウェーデンに割譲されてしまう。上地図。

デンマーク王国中でも屈指の豊かさを誇ったスコーネ地方を失うことで、エーレスンド海峡の海峡支配も含め、相当に大きな打撃となったようである。
続く1660年の第2次デンマーク戦争でも、クロンボー城塞は再占領されるも、戦後にスウェーデン軍が撤退すると、再び、デンマーク王国により国境強化と海峡支配の堅持をめざし、クロンボー城塞の修復・拡張工事が進められることとなる。下写真。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

幸いにも、引き続き、クロンボー城の徴税機能は継続され、海峡を横断する商船から、積み荷の価格に応じて、海峡通行税を徴収し続けた。
なお、船主の自主申告による積み荷価格に対して課税額が決定されたわけであるが、 意図的な安値での虚偽申告を防ぐべく、税関は先取購買権も担保しており、誰よりも早く 商品を購入する皇室の専売特権をちらつかせることで、安値での虚偽申告を抑止していたという。

以後も、失地回復を目指し、デンマークは機会あるごとに、スウェーデン領のスコーネ地方への攻撃を繰り返している(1700~1721年の大北方戦争など)。このクロンボー城塞からも毎度のごとく、対岸のスウェーデン領下の シェールナン城塞 へ攻撃が加えられ、占領・破壊を主導している。しかし、最終的にデンマークはいずれの戦争でも敗退し、結局、対岸部の再奪還は二度と実現しなかった。

ヘルシンゲル市

近代以降、クロンボー城塞はデンマーク軍の直轄管理下に置かれ、大規模な改良工事で、中世時代の面影はほとんど残されていないという。
当初は正方形であった城塞も、陸地側の港湾施設が大幅に改編される過程で、陸地側にも砲塁などが2重に設けられるようになっていった。

ヘルシンゲル市

その徴税機能も、1857年、米国の商船により納税を拒否されて以降、廃止されるに至る。
この見返りに、世界の列強国から総額6700万デンマーク・クローネの補償が支払われたという。

だいたい 1時間半ほど散策した後、そのままスウェーデンの ヘルシンボリ市 へ移動してみた(フェリーは15分に一本あり、片道 30 DKK、往復で57 DKK)。
フェリーは後部にトレーラーを乗せると、そのまま出航した(下写真)。

ヘルシンゲル市 ヘルシンゲル市

船上から見た、ヘルシンゲル市の全景(下写真)。中央の洋館がヘルシンゲル鉄道駅。

ヘルシンゲル市

クロンボー城のすぐそばを通過する(下写真)。中世の商船は、この角度から城館を目にしたことであろう。
対岸はもちろん、スウェーデンである。

ヘルシンゲル市

下は1700年代のクロンボー城と税関庁舎。

ヘルシンゲル市


コペンハーゲン 中央駅から 11:12発の列車でヘルシンゲル駅へ出発した。所要時間は50分。
列車は、見るからに豪華な内装なので、指定席とか一等車とかあるのか?と不思議に思ったが、他の乗客に聞くと、どこでも自由に座れる、とのこと。
途中で、乗車券確認の検札がやってきた。昨日、空港で買った24 Hour Ticket(夜21:30打刻)を見せたら、問題なし。
ヘルシンオア駅からの帰路では、検札人は回ってこなかった。




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