BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


イングランド カーライル市 ~ 市内人口 10.1万人、 一人当たり GDP 39,000 USD(国全体)


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  カーライル市の 旧市街地
  カーライル城塞の裏手にまであった ハドリアヌスの壁
  長城と要塞が築城された ローマ時代のカーライル
  中世時代のイングランド支配下の カーライル城塞
  内城と外城から成る カーライル城塞
  現存するカーライル城の 西側の都市城壁
  カーライル教会の 青天井




カーライル市

駅前のカウンティ・ホテル・カーライル(THE COUNTY HOTEL CARLISLE)に投宿した(60 GBP、朝食付)。
部屋からはちょうど駅前広場を臨める好立地だった。下写真は、夜と朝の風景。

カーライル市 カーライル市

当地の住民はアジア人を見かけるのが珍しいみたいで、夜間には特に、通行人らがじろじろ見てきた。

このホテルの朝食は、ベーコン、ソーセージ、トマト、豆、トースト、ヨーグルト、果物がビュッフェ形式で提供されており、ボリューム満点だった。

とりあえず、駅で翌日 14:40発のロンドン 行のVirgin列車チケットを購入した(48 GBP)。乗車日の当日に買うと 133 GBPということで、どれだけ跳ね上がるんだと目を疑ってしまった。

英国ではリスクを取った人が値段割引を受けられたり、優先入場できたり、といったリスクとリターンの原則が徹底されており、それが日常的に運用されている様が垣間見れた。
もちろん、リスクとは前払&払戻し一切不可、ということである。



エディンバラ・バスターミナルから、13:00発のローカル各停バスに乗車し(7.2 GBP)、3時間40分かけて、カーライル駅前広場に到着した(16:40ごろ)。下地図の赤ライン。

カーライル市

エディンバラ・バスターナルのチケット売り場では、このルートのバス乗車券は取り扱っていないらしく、直接、バスの運転手から買うように言われた。

カーライル市 カーライル市

もっと大型の観光バスかと思いきや、普通のローカルバスだった。上写真。
電車だと 1時間半ぐらいの距離なんだろうけど。。。



カーライル市

翌朝、カーライル城へ向かって、古城の正門より旧市街地へ入る。
途中、バンク・ストリート付近にて旧市街地を撮影してみた(下写真左)。
下写真中の奥は、観光案内所の建物。下写真右は、商人の家博物館(ギルドホール)。すべての見どころは、旧市街地のメインストリート上にあり、非常に便利である。

カーライル市 カーライル市 カーライル市

引き続き、城塞を目指していると、城塞の向かい側にカーライル市立博物館を発見した。そのまま吸い込まれるように、入場料7.7 GBPを払って見学に入る。

氷河期から始まるカーライル市の歴史が模型や写真を使って、分かりやすく解説されていた。

特にスペースが割かれていたのが、ローマ時代の遺跡である。
ローマ帝国により建造されたハドリアヌスの壁であるが、実は、このカーライル城付近を流れるイーデン川沿いにも通っていた。下地図。

カーライル市

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現在は単なる河沿いの遊歩道となっているだけである。上写真。

カーライル市

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そもそも建造から 2000年を経る中で、長城の石積みは解体され、それらの部材はカーライル城や、住宅、道路、橋などに援用されていった。現存する長城遺跡は、そもそも山岳や丘陵地帯にあり、なかなか人の関与が少ないエリアのものである。たまたま僻地にあったので、解体と破壊を免れた、ということだろう。

カーライル市

しかし、この河沿いの道をまっすぐ東へ30 km進めば、現存するハドリアヌスの壁遺跡まで踏破も可能、というわけである。
なお、筆者が訪問した時期が2月の冬季真っただ中であったため、ハドリアヌスの壁遺跡までの路線バスが運行されていなかった(夏季のみ運行)。


カーライル鉄道駅から、ハドリアヌスの壁遺跡を伝うローカル列車(Settle - Carline線)もある。
1980年代に存続の危機に立たされた 路線であったが、地元有志らによる努力もあり、1989年に再運行が決定されるたものである。以後、年中無休で毎日往復 2便が運行されている。


カーライル市 カーライル市


長城沿いに流れるイーデン川であるが、かつてはサケの里帰りで川登してくることでも有名だったが、今日ではもう見られないという。

博物館内では、ブリテン島やウェールズ地方におけるローマ帝国の歴史などが詳しく解説されていた。
破竹の勢いで、先住民ら(ケルト系)を駆逐してカーライル市付近まで進軍したローマ軍は、いったん北進を中断し、ブリテン島の西部へ進んでウェールズ地方を征服したようである。この時代、ウェールズ地方との間には、湿地と河川が無数に広がっていた(下写真左)。

カーライル市 カーライル市
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話を元に戻すと、カーライル市に到着したローマ軍は、蛇行するイーデン川沿いで、3方向を河川に囲まれるポイントであった現在の地点に兵士の駐屯施設を設置する(72~73年)。
その場所は、まさに博物館と現在の城塞との間の空間部分であったという。下写真。

カーライル市

後に、ローマ帝国は軍の駐留拠点に街を開設することを許可し、多くの商人らが集うようになる。しかし、常に北方ケルト族らとの間で一進一退の戦いが続く戦線地帯であったカーライル市を含むブリタニア北部は、その駐留民の圧倒的多数を軍人が占めていたという(1~2世紀にかけて、島全体で 55,000名の兵士が駐留)。

208年からのローマ皇帝セプティミウス・セウェルスによるブリタニア親征に際し、皇帝が当地に立ち寄った折、都市の自治権が認められることとなる。当時、カーライル市はLuguvaliumと呼称されていた。

カーライル市

セプティミウス・セウェルスによるブリタニア北方遠征は、現在のエディンバラを超えてマレー湾まで拡大するものの、すでに 60歳を超えていた皇帝の病死により、遠征は中止される。以後、後継者によりケルト族との和議が締約され、ブリタニア北部の国境地帯に 100年近い平和がもたらされることとなった。

この間、ローマ軍の国境警備兵は地元出身の市民や農民から徴兵されるようになり、軍の存在意義も、帝国の拡大から、都市と占領地の防衛に比重が置かれるようになる。

カーライル市 カーライル市

4世紀半ば以降、ゲルマン民族らの大移動を受け、ローマ帝国の本国自体が危機に見舞われると(上地図左)、ブリテン島に駐在していた軍人らもヨーロッパ大陸に招集がかけられ、ブリテン島の諸都市は防衛に事欠くようになる。
これに伴い、ケルト族らが南下を進め、カーライル要塞と都市も放棄されることとなった(4世紀後半)。ローマ人の都市跡には、そのままケルト人が入植する。
しかし、ローマ人の撤退直後、今度は欧州大陸からアングロ・サクソン族が渡来し、ケルト人を追い払い、ブリテン島南半分に割拠するようになる。

仏ノルマンディーから上陸し、アングロ・サクソン族の支配地を征服して、イングランド島に覇権を唱えたウィリアム1世がノルマン朝を建国すると、その2代目国王として次男のウィリアム 2世が皇位を継承する。
彼は、さらに北のスコットランドへの遠征を繰り返し、1092年、その前線基地として、このローマ時代のカーライル要塞跡を大改修し、城塞へ再生させる(上絵図右)。そして、翌 1093年、スコットランド王マルカム3世を戦死させ、北部支配を成功させるに至る。

1122年、英国王ヘンリー1世がカーライル城塞を訪問した際、さらなる拡張工事が指示される。このときに、現在の城塞の原型が完成する。その後も、3人の英国王とスコットランド王 1人の 4代の統治時代を経て、大規模な改修が繰り返されたという。

以後も、当地をめぐり、スコットランドとイングランドとの熾烈な戦いが続いた。記録によれば、基本的にはイングランド側の拠点であり続けたが、 1173年、1174年、1216年、1296年、1297年、1315年と1461年には、スコットランド軍が占領に成功している。
こうしたストーリーが分かりやすい解説で展開されていた。

カーライル市

博物館の観覧後、いよいよ城塞に入る(6 GBP)。
城塞は内城と外城の二重構造になっていた。下は内堀と内城の城壁。

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一時期、スコットランド女王メアリーがイングランドに幽閉されていた城館でもあった(1568年5~7月)。内側の城塞の端っこに、その建物があったという(下写真左)。幽閉とは言っても、かなりの自由が許されていたみたいで、メアリーは度々、市街地へ散策に出かけたとされる。

カーライル市 カーライル市
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18世紀には一時、放棄され荒廃していたらしいが、イングランド軍の駐留施設として再利用され、今日に至るという。
現在も、イギリス軍が駐屯し、緊急時にそなえているようであった。城内にある国境部隊博物館(カンブリア軍事博物館)は、別途、入場料 4 GBPがかかる。

カーライル市

カーライルの都市城壁は、現在の線路沿いに、鉄道駅広場までつながっていた。下写真。

カーライル市 カーライル市
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現在、カーライル駅前にある古城を模した建物は、かつて城門があった場所に関するモニュメントである。上写真。

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西側の城壁沿いにあるカーライル教会を訪問してみた。ここは天井の構造が有名らしい。確かに、すべて青で塗られた教会は他に類を見ないものだった。上写真。


14:46発のVirgin Train号で ロンドン へ。
ロンドン・ヒューストン駅(Euston Station)に18:15に到着する。




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