『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


イングランド・ロンドン市 ~ 人口 1,500万人、 一人当たり GDP 39,000 USD (国全体)


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  イングランド銀行とロンドン金融街
  テムズ川の巡洋艦 HMSベルファスト号とタワー・ブリッジ
  ロンドン塔とその歴史
  ノーブル通り沿いのローマ時代の城壁
  ロンドンの歴史
  ロンドン大火災(1666年)前後の城郭都市ロンドン
  第二次大戦中のドイツによるロンドン空襲
  ロンドン・ウォール通りと城壁跡
  帝国戦争博物館前にある戦艦の巨大主砲




ロンドンでの滞在は、実質的に朝から夕方までの1日だけだったので、地下鉄駅の券売機で、空港行きも含めた”ゾーン6”分の一日乗車券を購入する(12.5 GBP)。駅の券売機でクレジットカードを挿入したら、自動的に購入された。

ロンドン市 ロンドン市

Bank駅で下車し、イングランド銀行(1694年に新設。1734年に現在の位置へ移転)へ行く。
その横には、ロイヤル・エクスチェンジ(王立取引所。1566年設立)があり、かつては証券および商品取引所を兼ねていた。
この周辺が、金融都市ロンドンの中心エリアである(上写真)。
ちょうどイングランド銀行の裏手に、中国銀行が支店を構えていた(上写真左)。ロケーション選びが中国らしかった(本当は正門前にドンっと開店したかったんだろうけど)。

下写真右は、地下鉄 Bank駅内のエスカレーター。相当に深く掘られている。

ロンドン市 ロンドン市

テムズ川まで移動する。
川中にはHMSベルファスト号が観光地として一般公開されていた(下写真)。実際に第二次世界大戦でも使用された巡洋艦だそうだ。

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背後に、タワー・ブリッジ(1886年着工、1894年完成)と、ロンドン塔(中世時代はホワイト・タワーと通称された)が見える。上写真。
1389~1886年まで、タワー・ブリッジの下には王立の兵器工場が軒を連ねていた(1886年に立ち退き)。下絵図

ロンドン市
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ロンドン塔は、かつては城郭都市ロンドンの東側を守備する城塞として築城されたが(1078年の着工から20年かかる)、時とともに、その強固さが突出するようになり、緊急時に国王の避難場所として活用されるようになる。その歴代の王により、テムズ川から直接、船で入城するための水門が増設されていった。

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1282年以後、高級官僚や大臣などの政治犯を幽閉、収監する場としても使用されるようになり、時に、処刑場も兼ねた。
囚人らは船で移送されたようで、テムズ川方面の水門から入獄されていったらしい(トレイダーズ・ゲート【反逆者の門】など)。下写真。

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いちおう、陸地上の正門も保存されている。ここが現在の観光客用の入り口だ。
馬出(うまだし)形式の正門を有していたらしい(上絵図)。一部は吊り橋となり、完全に陸地が切り離されていたという。
その壕は、中世以降、動物園を兼ねていたこともあり、現在、ライオンのモニュメントなどが設置されている(下写真左)。

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また、城郭都市ロンドンの城壁は、ちょうどロンドン・タワーの北側から、現在のロンドン・ウォール通りに沿って建造されていた(下地図)。

ロンドン市

ロンドン・タワーの対角地点にあるのが、ロンドン市博物館である(上地図)。
この周辺には、ローマ時代の城壁がそのまま保存されている(ノーブル通り沿い)。下写真。

ロンドン市 ロンドン市
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当地(ロンディニウムと呼称されていた)ではローマ時代からかなり大規模な城壁都市が建造されていたようで、ブリテン島支配の本拠地となっていた(紀元100年~410年)。居住人口は 最高で6万人を数えたという。

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最初の城壁は100~120年ごろに建造されるも(上絵図)、200年ごろに高さ6m、幅2.7m、全長3kmに及ぶ巨大城壁へと改修される。積み上げられた石はロンドン南部のケント地方から船で運ばれてきたものという。
しかし4世紀後半以降、ヨーロッパ本土へのゲルマン民族などの移民族の侵入が重なり、ブリテン島のローマ軍兵士らはすべて欧州大陸へ撤収されることとなる(410年)。
こうして、ブリテン島の原住民であったケルト族らが空っぽになったブリテン島全土に居住地を広げるようになる。

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しかし、ほぼ同時期、ヨーロッパ本土よりアングロ・サクソン系民族が移住してくる(410年~)。上地図。こうして、再び、廃墟となっていた都市ロンドンが再建される。
基本的には、ローマ時代の城壁サイズがそのまま使用された。
この5~10世紀の間、イングランド島南部はアングロ・サクソン系民族の領主が割拠する戦国時代となる。また、一時はバイキングのデーン人らの侵攻・支配を受けた。

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1066年にウィリアム1世が仏ノルマンディーより遠征し、イングランド島南部を征服する。占領後、最大都市ロンドンの支配を確実にすべく、ロンドンの東西に3つの城塞が建造される(上左地図の黄色マーク)。そのうちに一つが、現在のロンドン・タワーへとつながっていく。
このノルマンディ公の英国征服にあわせて、フランス本土から多くの人々がロンドンへ移住してくる。当初はフランス語がメインであったが、徐々に現地化され、英語が誕生することとなった。

14世紀までに、ロンドン城壁には複数の城塔が増築され、さらに防衛力が強化される。

ロンドンは17世紀初頭まで、その規模をほとんど変えることはなかった。そんな手狭な城壁都市内では、人口過密と貧困問題が慢性化しており、度々、疫病が蔓延することとなる。特に子供の生存率は恐ろしく低かったという。

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ロンドン市博物館では、都市ロンドンでの2大ビック・ニュースとして、ロンドン大火災(1666年)とペストの大流行(1665~1666年)が特別スペースを設けて展示されていた。ちょうど、日本では江戸時代の最盛期で、第4代将軍徳川家綱の治世時代にあたる。
この当時、ロンドンの人口は30~50万人とされており、100万人都市の江戸(18世紀初頭)がいかに巨大であったかが分かる。上の絵図は、ロンドン大火災前の様子。

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なお、ロンドン大火災(1666年)では城壁が一定の防火壁の役割を担い、北部や西部への広がりを防いだ(上地図)。以後、城壁は徐々に撤去され、市内の建造物や防火設備へ転用されていくこととなる。

ロンドン市
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1831~1925年頃、ロンドンは世界最大の人口都市となる。以後は、ニューヨークに取って変わられた。当時は、ロンドン橋の上にも、たくさんの住宅が建てられていた。。。(上絵図)

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1940年、2週間連続のドイツ軍によるロンドン空襲では、街は大きな被害を受けた(上地図の白色部分)。この時の爆撃による被害地区の復興工事に際し、現在のローマ時代の城壁が発見されたという(ノーブル通り)。
第二次大戦中は、ロンドンからの疎開も行われ、その人口を大きく減らすこととなった(1939年861万人→1945年410万人→1961年799万人)。

博物館の近くに、ぽつんと残る教会があった(下写真左)。
また、ロンドン市内にはピカピカのビルに挟まれる形で、中世からの教会が残されており、その強引な共存がなかなかおもしろい(下写真右)。

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下写真は、現在のロンドン・ウォール通りの様子。かつて、ここに城壁が連なっていた。

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ブラック・フライアーズ橋を渡って、再び、テムズ川の南岸へ移動し、城壁時代の旧市街地を概観してみる。城壁の西端部分にあたる。
2000年6月に完成したという歩行者専用のミレニアム・ブリッジから撮影してみる。下写真左。

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サザーク橋ではファイナンシャル・タイムズ社の本社ビルを発見した(上写真右)。英国の高級経済紙だ。確か、2015年7月に日本経済新聞社に買収されたはずだ。

最後に、地下鉄エレファント&カッスル駅の近くにある帝国戦争博物館(入館無料)を訪問した。

入り口に設置された戦艦の大砲が最も見応えがある(下写真)。そもそも、左右は別の戦艦に搭載されていた。左はHMSラミルスの、右はHMSレゾリューションの甲板上(1938年以降はHMSロバートに搭載)にあり、共に1920年のトルコ分割をめぐる戦乱時に使用されている。
第二次大戦下、左の大砲は1940年8月と11月におけるイタリア戦線で、右の大砲は HMSロバート上にあって、1944年6月のノルマンディー上陸作戦のおとり戦で、フランス北岸でのドイツ軍への艦砲射撃に使用されたという。

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中の展示は、特に第一次世界大戦と冷戦期に関する兵士の体験談や、市民生活、歴史背景、兵器などが展示されているだけだった。
植民地支配に絡む帝国主義戦争に関する展示を期待していた筆者にとっては物足らないものであった。

そして、ホテルで荷物をピックアップして、ヒースロー空港第4ターミナルへ向かった。


空港へは地下鉄ピカデリー(Piccadelly)線が乗り入れているものの、ヒースロー空港には3つ駅が併存する。
ターミナル1、2、3(Terminal 1,2,3)駅、ターミナル4(Terminal 4)駅、そして、ターミナル5(Terminal 5)駅だ。

ロンドン市中心部から、地下鉄でちょうど1時間かかる。




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