『大陸西遊記』ホーム




チェムの祭りに関する調査報告


フジデンシ 大川 純一様より御提供頂いた 現地レポート(2017年6月14日作)


 西暦 2017年 6月8日(木)、9日(金)、10日(土)に開催されたチェムの祭りに関する調査報告をここに記す。なお、事前調査は、ハノイ歴史研究会のホームページから引用させて頂いた。撮影した写真は、すべて 2017年度に撮影したものである。

 ディンチェム(チェム亭)は、緯度 21.094080, 経度 105.774290 に存在し、河の南岸に存在する。川幅の狭い場所でもあり、コーロア城の橋頭堡の役割を担っていた可能性も考えられる。民謡では、1にコーロア、2にゾンモット亭、3にチェム亭が歌われているとされている。(要事実確認)
チェムの祭典

(以下、ハノイ歴史研究会のホームページより引用)
 ディン(đình;亭)とは村の鎮守社兼集会所で、チェムは村の名を意味する。3つの村が合わさって現在の祭りが運営されている。(要事実確認)しかしチェム村というのは通称で、村の正式名称は、ハノイ市トゥーリエム県トゥイフゥオン村(Thụy Phương, Tư Liêm, Hà Nội )という。タンロン橋が架けられる以前は、「チェムの渡し」があり、ここは重要な交通拠点であった。

 このディンには語り継がれてきた伝説があり、紀元前 2世紀、アンズォン(安陽 An Dương)王の時代に活躍したといわれるリー・オン・チョンが村の守護神として祀られている。村の守護神は、ベトナム語ではThành Hoàng(タインホアン)と言われ、漢字は“城隍”にあたる。“隍”は、城のからぼりのことで、城を守る意を持つ。リー・オン・チョン(Lý Ông Trọng 李翁仲)(本名:リー・タン)は、子供の頃から体が大きく、賢く、しかも礼儀正しい若者とされる。忠誠心に富み、文武両道の才にたけていたとも言われている。当時、中国は秦の始皇帝の時代で、北部国境地帯では北方騎馬民族の匈奴の脅威にさらされている。始皇帝の要請をうけ、アンズォン王は国境警備のためにオン・チョンを差し向けたとされる。

(今でいう大使の任務か?)彼は期待どおりの働きをし、匈奴を打ち破ったとされ、皇帝は、その褒美として皇帝の娘、バック・ティン姫を与え、この国に留めるために結婚させたと伝えられる。

 オン・チョンはティン姫との間に二人の娘と四人の息子をもうけたが、オン・チョンはアンズォン王を助けるために、妻子とともに故郷チェムに戻ってきたとされている。再び中国に戻るよう何度も要請されたが、彼はそれを拒否し、生まれ故郷で亡くなったとされている。彼の死後、チェム村の人々が彼を祀るためにこのディンを建てたと伝えられる。ディンは二千年の歴史を持ち、チェム村の人たちは、河と堤防の間に建っているこの集会所が、洪水から村を守ってきたと信じている。

 現在の建物は 20世紀初めに改築されたものであるが、河に向かって四本の高い石柱が建てられ、数段の階段を上がると木製の大きな門がそびえ立っている。この門の左右に小さな通用門があり、普段は向かって左の通用門から出入りを行う。大きな門の内側には、白い象と象遣い、白馬が安置されている。リー・オン・チョンは象に乗って戦ったとされる。

 四本の高い石柱には、リー・オン・チョンを称える対連が施され、内側の高い二本の柱には四羽の鳳凰があり、外側の二本の柱にはゲーと呼ばれる狛犬のようなものが見える。龍や亀の文様も柱には見受けられ、陶器の破片を利用していることから、19世紀以降のヨーロッパのモザイクの影響と考えられる。1960年には、北ベトナムでは社会主義が広がり、象や馬の像は壊されて紅河へ投げ捨てられたと言われている。

 建物の中に入ると、18世紀につくられた沢山の木像を見ることができる。中でも注目すべきものは、オン・チョンとその妻の二体の木像である。それは、1888年につくられた当初は、朱で塗られ、金箔を施されたものであり、現在は塗り替えられている。椅子に腰かけているこの二人の像は、およそ3mの大きなもので、このディンの一番奥に安置されている。その左右には、子供達の立像が三体ずつ置かれている。

 1990年、ディンチェムは、国の史跡として認定されている。

 毎年旧暦の 5月14、15、16日の三日間にわたって行われる「チェムの祭り」は有名である。この祭りのユニークな点は、紅河に船をだし、河の中央で水をくみ、それを祭壇に供え、その水で像を清めるところにある。


 西暦 2017年 6月8日(木)、9日(金)、10日(土)は、旧暦の 5月 14、15、16日の三日間にあたり、満月を挟んで日程が組まれている。毎朝 7時に船がA地点より出発し(2日目、3日目は 7時で間違いないが、初日は未確認である)、水を汲む小型船と、赤いスカートと白シャツの青年達や楽士、獅子舞を乗せた大型船が出航する。今回は2日目に船に同乗したが、とくに乗船を拒否されるようなことはなかった。これらの船は3日間ともに出航し、水も毎日汲まれている。小型船が先行し、大型船は後に続く。船は上流に進み B地点で右回りに三回転し、下流に引き返す。チェム亭の前の C地点で更に右回りに三回転し、少し離れた D地点に上陸する。

チェムの祭典 チェムの祭典
          小型船                   大型船

チェムの祭典

チェムの祭典

 スケジュールはチェム亭におけるものであり、船は毎日 7時に出航される。乗船に際し、特に咎められることはないが、観光気分で乗る船ではなく、神事に対し尊敬の念を持つことが必要である。

チェムの祭典

 チェム亭の少し西には南下する川筋があり、この地域が交通の要所となったことも想定される。(ただし川筋は変わった可能性もあり)

チェムの祭典 チェムの祭典

 小型船、大型船は、上流引き返し B地点とチャム亭前の C地点で右回りに回転する。またこの時には、青年達のかけ声(オエ音)と演奏者の演舞が行われる。オエ音とは高い声をそろえて発声するかけ声の事と定義し、これ以降も使用する。

チェムの祭典 チェムの祭典

青年達は、神輿を運んだり、神事を実際に遂行する集団である。マスクをかぶり、センスで口元を隠して発声を行う。地元の人からは軍を意味するとの説明があった。(要確認)

チェムの祭典

 水は数カ所で汲まれ、3つの瓶に納められる。汲む場所に赤い輪をかけ、その中央から水が汲まれる。壺が3つある意味を聞いたが、村のエリアが3つあるためとの説明を受けた。この水は、この後の行事で、神像などを清めるのに使われていると考えられる。実際に清める瞬間は非公開であり、天幕の中で清めは行われる。

チェムの祭典

 最初に下船するのは、2匹の龍を操作する集団であり、丘を登ったところにある拝礼所で儀式は行われる。続いて同行する者達が拝礼し、その後、パレードがチェム亭まで繰り広げられる。

チェムの祭典
                  上陸した丘の上の礼拝所

チェムの祭典 チェムの祭典

 赤い袋には線香が入っている。これを香炉で炊いて香りを周囲に漂わせている。その後を紅河の水が汲まれた壺が運ばれ、チェム亭を目指すこととなる。チェム亭までは約 400メートルの距離であり、この間においてパレードが行われる。初日のパレードの開始時刻は、10時頃であり、2日目、3日目は 8時30分前後である。パレードは 30分から 40分程度で終了する。毎日のパレードには、若干の差異があり、1日目のパレードのみ王及び王妃の神輿とシャンチー(象棋)の人間駒の集団が参加する。これらは2日目、3日目のパレードには見られない。3日間に渡ってシャンチー(象棋)のコンテストがあり、熱戦が繰り広げられる。1日目に開会式があり、3日目に閉幕式が行われる。リー・オン・チョンは有能な武神でもあり、戦略を駆使するシャンチー(象棋)との関わりが考えられる。また、シャンチー(象棋)以外にも、様々なゲームが行われており、江戸時代に伝わったと言われるカードゲームを見ることもできた。(要確認)

チェムの祭典 チェムの祭典
          神輿               象棋の人間駒(青と赤がある)

チェムの祭典 チェムの祭典
       龍が行列中を駆け巡る          行列はチェム亭で終了する

チェムの祭典 チェムの祭典
  実際の人間が駒となったシャンチー(象棋)     江戸時代に伝わったとされる札

チェムの祭典 チェムの祭典
    亭の中では布を振って清められる        特殊な楽器により女性が演奏

チェムの祭典

 赤いスカートをはいた男性の集団が神事の実行部隊を勤める。軍隊でいえば兵士の役割であり、集団となって行動する。威圧感を持った集団は、沖縄のアカマタ・クロマタのシンカ(臣下)と呼ばれる男性だけの秘密結社集団を思い出させる。

 2日目は、パレードが終了後、10時頃からお茶を捧げる儀式が執り行われる。お茶は三回運ばれ、額縁のようなものも奥から持ち出され、また奥へと運ばれる。儀式は青い服を着た壮年の男性によって行われる。上の赤い礼服を着たものがリーダーであり、左右には武官と思われる兵士が御霊を警備する。

チェムの祭典 チェムの祭典

チェムの祭典 チェムの祭典

チェムの祭典

 祭壇にはお茶が三度捧げられ、これから御霊を迎える儀式が始まる。

チェムの祭典 チェムの祭典

後宮の奥には、リー・オン・チョンと妻を祀る木像が安置されている。その左右には子供達の立像も三体ずつ見られる。祭祀に関しては、これらの木像が移動することはない。祭祀では、木像の手前に配置されているご神体が使用される。

チェムの祭典 チェムの祭典

ご神体の前では祈りが続けられているが、青年達により御霊のお渡り行事が開始される。

 11時30分には、亭の前で鳩を飛ばす行事の準備がなされる。ただし、実際に飛ばすのは 12時頃である。同時刻には、後宮からすべての一般人を外に追い出し、内部でお渡り行事の準備が始められる。

チェムの祭典 チェムの祭典

 神輿の台座部分を切り離し、後宮の入り口に神輿を設置する。回りを赤い布で覆い隠し、中は一切見せないようにする。黒い兵士は監視員であり、この神事中は、青年達は赤いマスクを口にまいて神事を執りおこなう。この際にも、何度もオエ音を全員で発声する。

チェムの祭典 チェムの祭典

 そしてご神体を神輿に乗せて、後宮から拝殿を通って外に出し、方亭の左右にある社に王と王妃のご神体を移動させる。これ以降は、後宮の立ち入り制限は解除され、自由に後宮への参拝も可能となる。祭壇にあったご神体が、移動していることが見て取れる。

チェムの祭典 チェムの祭典

青年達がマスクをするのは不浄な息がご神体にかからないためと考えられ、これは日本の神事にも共通点として見られる。

神事は中央に立つ僧侶によって見守られる。回りは布で覆い隠し、内部の様子は一切外部に見せることはない。内部でご神体を河の水で洗い清めているものと思われる。

チェムの祭典 チェムの祭典

 12時になると、鳩が一斉に放される。これは、王と王妃にご覧頂いているようにも思える。鳩がすべて放されると、神輿に乗せられたご神体は、拝殿へと帰っていく。

チェムの祭典 チェムの祭典

左右の社からは紅河の水が入った壺が持ち出され、内部を見るとご神台が濡れていることがわかる。この上で清めたものと考えられる。

チェムの祭典 チェムの祭典
       運び出される壺               濡れた内部のご神台

 拝殿に帰ってきたご神体は安置され、2日目の午前中の神事は一段落となり、青年達は食事をしに、各々の家に帰っていく。ここからは僧侶による祈祷の時間となる。

チェムの祭典
         拝殿に運ばれた後の神物は、自由に拝むことができる。

チェムの祭典 チェムの祭典
     神物の腰のベルトが美しい


 15時からは、ご神体が拝殿から後宮に帰る儀式となる。後宮はまた立ち入り禁止となり、楽士を始め総出でご神体のお見送りを行う。

チェムの祭典 チェムの祭典

チェムの祭典

 一連の行事が終了すると、拝殿に向かって右手に安置されている木像の移動が始まる。この人物が誰なのかは不明。

チェムの祭典

チェムの祭典 チェムの祭典

 台座には車輪があり、綱で引っ張って外に運び出す。ディン亭の外にある社で、ご神体と同様に紅河の水で清められる。清めるときは、内部を見ることはできない。

 17時近くに、洗い清める神事は終了する。御霊移りが見られるのは、リー・オン・チョンが後宮から出入りする部分のみとなる。この神事は日本の神幸祭との共通点も感じられ、今後の一層の調査と資料分析が待たれる。


参考資料

チェムの祭典
                 チェム亭の立地と方位

チェムの祭典
                 ルンケー(ルイロウ)

チェムの祭典
                    コーロア城

チェムの祭典 チェムの祭典

チェムの祭典
                    ゾンモット亭

チェムの祭典
                   ブットタップ寺

チェムの祭典 チェムの祭典

中之島仙人

お問い合わせ


© 2004~2018  Institute of BTG   |HOME|世界の城郭~