『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


スコットランド・エディンバラ市 ~ 人口 50万人、 一人当たり GDP 43,000 USD (国全体)


 ➠➠➠ 見どころリスト ➠➠➠  クリック

  大混雑のエディンバラ城は早朝訪問がベスト~
  エディンバラ新市街地と海岸の軍事要塞の島
  ロイヤル・スコッツ(軍人協会)のエディンバラ市での絶大なるプレゼンス
  エディンバラ城の軍事刑務所
  エディンバラの旧市街地と城壁跡
  メインストリートのザ・ロイヤル・マイル(Canon Street)
  エディンバラから英国カーライル行きの路線バス
  丘陵と山々から成るスコットランド地方と、イングランド平原とのギャップ




筆者は、初日、城塞の真下にあるカッスルロック・ホステル(15 GBP)に宿泊し、二日目は、新市街地のロイヤル・スコッチ・クラブ(ホテル)に投宿した。
この二泊を通じ、新旧の街並みが良く分かり、また、標高差を徒歩でまじまじと痛感できた。

まずは定番のエディンバラ城の見学から開始する。

エディンバラ市 エディンバラ市

この城は、同市を訪問する観光客が100%訪れるスポットとなっており、午前10:00を超える頃には、チケット売り場に長蛇の列ができる。
なので、午前10:00前に訪問されることを強くお勧めする。

入場料は当日券で16.5 GBP(カウンターでクレジットカード決済可)。日本語マップがもらえる。 10時前は誰もチケットカウンターに並んでいないので、即刻購入し入城できた。

エディンバラ市

なお、ネットで前予約すると割引され、チケット売り場の向かいのチケット発券機にバーコードをかざして、そのままチケットを入手できる。こっちの方がスムーズかつ、お値段もお得だ。

また、9:45ごろに、日系旅行会社のガイドツアーも城塞訪問をやっているようで、日本人の一団体に出くわした。この早朝のタイミングが、一番のお手頃訪問タイムと分かってのことであろう。

城塞から新市街地(北側)を臨む。眼下の公園は、かつての軍事訓練場だ。

エディンバラ市

フォース湾(Firth of Forth)に浮かぶ小さな島(Inchkeith)が見える(上写真)。ここは古くから軍事要塞化されており、1300年代の対英戦から始まり、第二次大戦中のドイツ軍による攻撃まで、エディンバラの海岸第一防衛拠点として、数々の攻撃を受けてきた場所である。

下絵図は、現在、世界で最も美しいと評される新市街地の初期の様子(1793年当時)。中世からの城壁都市が手狭となり、1766年、26歳の若き建築家ジェームズ・クレイグにより計画され、 1820年に第一段階が完成された。

エディンバラ市

さらに第一次世界大戦中の1916年、このエディンバラ城自体もドイツ軍のツェッペリン飛行船により、空爆被害を受けている。直後より、空爆対策として、城楼の一部が倉庫に隠されることとなった(その楼閣は今も地下に眠る。下写真左)。
ここには当時から、スコットランド軍の本部が設置されていた関係上、ドイツ軍の標的となったようだ。

エディンバラ市 エディンバラ市

城塞は今日でも軍の管理下にあるようで、スコットランド軍博物館や監獄博物館などがあった。ここで、ロイヤル・スコッツ(スコットランド軍人協会)に絡む博物館もあり、筆者が宿泊していたホテルとの関連性が見えた瞬間であった。

スコットランドは、現在でも軍人の地位が高く、国家の重要なポジションを占めている様子が伺えた。軍学校、軍事教練場は、街の中心部、城塞の真下にあり、どう見ても同国首都の一等地である。通常は、こうした軍事施設は郊外や人目をはばかる場所にありそうだが、ここでは街中のど真ん中なのである。
これでもか!というぐらいに軍のプレゼンスを市民や観光客らに見せつけている様が伺えた。

エディンバラ市 エディンバラ市

かつて、徴兵された兵士らは、英国正規軍として、南アのボーア戦争、アメリカ独立戦争など、各地の植民地戦争へと派遣されていった。博物館や軍人協会の会館では、それらの戦線や戦績に関する写真や絵画が誇らしげに飾ってあった。


ところで、筆者が二日目に投宿したロイヤル・スコッツ・クラブ・ホテルであるが、ここは軍人協会の会館(クラブ・ハウス)を改修したもので、内部の構造は迷路のごとく複雑怪奇であった。一人で泊まったわけだが、かなり不気味だった。
館内では廊下や階段、廊下やロビーの至るところに軍人や戦場の絵画や勲章などが飾られていた。

エディンバラ市 エディンバラ市
エディンバラ市 エディンバラ市

しかし、室内の装備は十分過ぎるほどで、暖房設備も充実していた。欧州のホテルには珍しく、アメニティにスリッパがあった。髭剃りや歯ブラシは、やはりない。Agodaサイトで予約、76.47 USD。



エディンバラ城内に話を戻すと、軍事刑務所では、フランス人やアメリカ人の船員たちも入獄されていたらしい。アメリカ独立戦争時、フランスは独立側を支援しており、大西洋において、英仏は船舶の拿捕合戦を繰り返していたわけであるが、その拿捕された一輸送船に、フランス人とアメリカ人が混在されていたようである(この事件では、アメリカ人はフランス人と言い張って、最終的に釈放されたようである)。
その刑務所生活が生々しく復元されていた。下写真。牢屋の扉には彼らの落書きの跡などが大切に保存されている。

エディンバラ市 エディンバラ市

このエディンバラ城の一番の見どころは、国宝級の王冠や宝剣などの三種の宝器であろう。厳重な金庫用の扉などから、ルパン三世の大泥棒劇をイメージしてしまうのは筆者だけではあるまい。
下写真左は城内にあった井戸。底には水が見えた。

エディンバラ市 エディンバラ市

こうして、城塞の視察はだいたい1時間半ぐらいで終了した。
この頃には、入り口のチケット売り場に長蛇の列ができており、それを尻目に城を後にした。

エディンバラは、ちょうど城塞を頂上として、丘陵に沿って南北に街が形成されていた。

エディンバラ市

城塞の南側に旧市街地が形成されており、かつては、城壁も延々と連なっていたわけであるが、今日では全く保存されていない。下写真。

エディンバラ市

エディンバラ市

そのまま城塞の正面通りを東へ下って進む。この通りの名前は、ザ・ロイヤル・マイル、別名Canon Street(大砲通り)。城塞と現在のスコットランド国会議事堂とを結ぶメインストリートだ。下写真(模型は16世紀後期をイメージしたもの。通りの中央部にある十字架は、市民の日常のマーケットであり、ときに処刑場も兼ねた)。
ちなみに、その国会議事堂の正面にホリルードハウス宮殿があり、かつてのスコットランド王家の別邸だった(現在はイングランド王家の別荘)。つまり、このメインストリートは、国王一行の往来ルートでもあったのである。

エディンバラ市

また、途中にはバンク・ストリートもあり、かつて金融の中心地でもあったことが読み取れる。現在は最高裁判所が入居している。下写真左。

エディンバラ市 エディンバラ市

途中のノース橋、サウス橋通りには、かつて城壁と城門があった。その城壁は、現在の鉄道駅の付近まで続いていたようである。

エディンバラ市 エディンバラ市

ザ・ロイヤル・マイル通りを更に東へ行った場所に、エディンバラ市博物館(無料)があった。ここで、かつての城塞時代の資料が閲覧できる。

エディンバラ市

1700年までに25,000人へ、1740年には40,000人へと居住人口を爆発させていった旧市街地は、疫病と貧困が蔓延するようになり、富裕層を中心に城外への移住が進むようになる。
こうして1766年から開発が着手されたのが、現在の新市街地である。

二日目にはこの新市街区エリアに投宿したが、銀行街、バスターミナル(ロンドン行の深夜バスもある。深夜11時発)、鉄道駅、ショッピングエリアなどが効率よく配されており、非常に機能的な街並みであった。下写真。
この新市街地は、海岸線までの6kmにわたり、緩やかな坂道が続いており、日常的な運動にも適しているだろう。

エディンバラ市 エディンバラ市 エディンバラ市

13:00にバスターミナルから、英国 カーライル 行きの路線バスに乗車した(7.2 GBP)。チケット売り場では乗車券は取り扱っていないらしく、直接、バスの運転手から買うように言われた。

エディンバラ市 エディンバラ市

もっと大型の観光バスかと思いきや、普通の各停の路線バスだった。上写真。
これから3時間40分かけて、南のカーライル市まで延々とドライブすることとなる(下地図の赤ライン)。

エディンバラ市


なお、このエディンバラ市バスターミナル横に、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの本店があったので、中へ入ってみた。

同銀行の歴史などを展示するスペースと、銀行カウンターが同時併設されていた。
ATM機にしろ、カウンターにしろ、随分と凝った趣を漂わせているが、無駄なコストをかけているようにしか、筆者の目には映らなかった。
最も驚いたのは、銀行カウンターのシステムだった。銀行員は立ったままで、 PCと小さな移動式の台を操って、接客していた。客も同じく立ったままだ。
現金の出し入れは、その台に付いている小さな引き出しから行っていた。空港をイメージさせるスタイルで、近未来の銀行サービスの予感がした。

それ以外は、とにかく重厚感を出そうという努力がにじみ出ており、軽装化したカウンターと、中世風の物々しい室内装飾の対比がおもしろかった。



路線バスでの南下の途上では、馬や羊の放牧地がたくさん広がっていた。

エディンバラ市 エディンバラ市

移動の過程で気づいたのは、スコットランド地方は丘陵と谷間の狭い空間と斜面を利用して町や牧場が形成されていたのに対し、イングランドの国境を超えるや否や、一気に平地が広がるようになる。
英国側でも同じように羊や馬が放牧されているのだが、明らかに平地の方がメンテナンスは楽なはずである。

”Welcome to England”と軽く道路表札だけで国境を超えたわけであるが、これだけの国土の違いを見せつけられると、スコットランドがイングランド島の中でも不便な山岳地帯へ追い込まれた地方であったことが伺い知れた。

豊かな平野部の土地を追われたり、訳ありで脱走したりして北部の山岳地帯へ入り込み、ここを開拓していったのがスコットランド人の先祖たちなのだろう。

しかし、そのスコットランドも、後に完全に英国支配下に併合されることとなり、ロイヤル・スコッツの軍人会へとつかながっていくのであった。

カーライルには16:40ごろに到着した。電車だと1時間半ぐらいの距離なんだろうが。

明らかに非効率な旅路ではあったが、こうした国土の違いや、スコットランドの田舎地方を見て回るには貴重な旅程だった。


空港バスが、エディンバラ市街地との間を、毎10分ごとに運行されている(所要時間は30分。片道4.5 GBP)。
また、トラムも市内と空港間で頻繁に運行されている。
エディンバラは、世界最強なぐらい、空港アクセスが便利な都市であった。

なお、エディンバラ・バスターミナルから、グラスゴーまで直行バスあり。
片道 7 GBP(往復で 10 GBP)。10~15分に一本運行中。




お問い合わせ


© 2004-2018  Institute of BTG   |HOME|Contact us