BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


スウェーデン ヘルシンボリ市 ~ 市内人口 6.1万人、 一人当たり GDP 40,000 USD (全国)


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  デンマークによって建造された シェールナン城塞の 歴史
  シェールナン城塞
  ヘルシンボリの 中心エリア ~ ストートリィ広場、市庁舎 など




デンマーク側の ヘルシンゲル市 から、フェリーで上陸してみた。

ヘルシンボリ市

フェリーより下船すると、スウェーデン側のイミグレがあった。イケ面のお兄さんがパスポートと入国日のスタンプをチェック。

ターミナルから出ると、とりあえず、 駅前の Subwayで セット・メニューを注文した。わざわざ スウェーデン・クローナ(SEK)へ両替することなく、 クレジットカードで食事できた。

ヘルシンボリ市 ヘルシンボリ市

その後、お目当ての山上の要塞を目指した。現在、要塞跡地は シェールナン城塞(Kärnan)と 城塞庭園として、市民に開放されている。上写真。

ヘルシンボリ市 ヘルシンボリ市

そもそも、当地に要塞が建設されたのは、1420年代という。
当時、デンマークは、北欧スカンジナビア半島全域からバルト海にかけて大帝国を築き上げており、現在のスウェーデンと ノルウェー一帯を支配していた(カルマル同盟 1397~1523年)。上地図。

カルマル同盟の 初代君主エーリク 7世は、その余勢をかって、デンマークと陸続きの ユトランド半島(現在のドイツ・キール一帯)にあったシュレースヴィヒ公国と ホルシュタイン公国の併合を目指し、神聖ローマ帝国と対立し、多くの戦費を費やすこととなる。

この莫大な出費を補填すべく、属国のスウェーデンとノルウェーに重税を課したわけであるが、その一環として、自身の帝国の入り口であるエーレスンド海峡に「税関」を設置する。当地を航行する船舶に海峡通行税を納付させることとしたのである(結果として、巨額の税収確保に成功する)。
この海峡は幅 7 kmしかない狭いもので、その両岸に監視用の城塞が建設された。

これが現在のデンマーク・ヘルシンゲル にある クロンボー城塞 と、スウェーデン・ヘルシンボリにある シェールナン城塞である。当時、これらは単に クローゲン(要塞)と呼称されるに過ぎなかった。デンマーク側の要塞に税関が開設され、ヘルシンボリ側は監視台的なものとされた。

ヘルシンボリ市

それから 150年以上が過ぎ、デンマーク王家の支配にもほころびが生じ、対岸のスウェーデン王国内で 分離・独立の反乱が頻発することとなる(1523年、正式に独立)。台頭するスウェーデン勢に対抗すべく、デンマーク・ヘルシンゲルにあった徴税用の要塞クローゲンが軍事要塞へと大改修される(1574年~1585年)。この頃から「クロンボー城塞」と通称されるようになった。上絵図。

ヘルシンボリ市

同時に、対岸のシェールナン城塞も大改修が加えられる(上の絵図は、1589年当時のもの)。この時代、スカンジナビア半島の南端部で最も肥沃な土地であった スコーネ地方(現スウェーデン・ヘルシンボリ市を含む)は、引き続き、デンマーク王国の支配下にあり、クロンボー城塞とあわせて、エーレスンド海峡の支配権確保に重要な役割を担っていた。下地図。

ヘルシンボリ市

最終的に 1657年の第 1次デンマーク戦争を経て、スコーネ地方はスウェーデン領となる。
スウェーデン軍は氷上侵攻により、デンマークの主力海軍と交戦することなく、占領地のユトランド半島から首都 コペンハーゲン のあるシェラン島への上陸に成功し、戦意を失ったデンマーク国王のフレデリク 3世は、そのまま全面降伏に追い込まれる。
こうしてロスキレ条約が締結され、正式にスコーネ地方がスウェーデンに割譲されてしまったわけである(上地図)。当地はデンマーク王国中でも屈指の豊かさを誇る土地柄であったため、相当な痛手となったらしい。

以後、この失地回復を目指し、デンマークは機会あるごとに、スウェーデン領下のスコーネ地方への攻撃を繰り返した(1700~1721年の大北方戦争など)。これらの戦役ではヘルシンゲルの シェールナン城塞も何度も占領され、破壊の憂き目に遭っている。しかし、最終的にデンマークはいずれの戦争でも敗退し、結局、当地奪還 は二度と実現しなかった。

ヘルシンボリ市

このように、スウェーデン軍とデンマーク軍の死闘スポットとなったシェールナン城塞跡であるが、現在では急峻な丘の斜面と、要塞中央にあった楼閣が残されているのみである。
上写真は、城塞から旧市街地、さらに対岸にあるデンマーク領を臨んだもの。
下写真は、城塞の正面入り口付近。

ヘルシンボリ市 ヘルシンボリ市

途中に、要塞時代のミニチュアが設置されていた(下写真)。
海側ではなく、山側に 馬出(うまだし)方式の正門が設置されているのが分かる。

ヘルシンボリ市

その要塞入り口の 正面広場(ストートリィ広場)に、市庁舎(下写真の茶色の建物)と マグヌス・ステンボックス(1680年にヘルシンゲルに再上陸し、当地の要塞を 破壊・占領していたデンマーク勢力を、1710年、再駆逐に成功した人物)の騎馬像がある。下写真の右端にある緑色の銅像。

ヘルシンボリ市

この市庁舎の裏手に 歩行者天国(Lilla Torggatan)があった。直線で 300~400 m程度の短い通りだ(下写真左)。
この最終地点が、ちょうど、要塞の北端にあたる。やはり急峻な斜面が目に就いた(下写真右の奥にある高台の部分)。

ヘルシンボリ市 ヘルシンボリ市

ここから 大通り(イアンヴェゲス通り)を戻り、フェリーターミナル(バスターミナル、鉄道駅を兼ねる)を通り過ぎて、南側にある大学側へ歩いてみた。この辺りから、本格的な事務所ビルや 住宅街が広がっている様子だった。
ターミナルビルの南端には日本料理屋もあり(下写真左)、また、道路向かいにはセブンイレブンもあった(下写真中)。
北欧の自転車置き場は、それにしても、なぜにオシャレなのだ。。。(下写真右)

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16:00のフェリーでデンマーク側へ戻る。この帰路では、一切のパスポート・チェックは無かった。

フェリーターミナルと ヘルシンゲル駅は連結されているので、 そのまま コペンハーゲン 行きの列車に飛び乗った(所要時間 50分)。17:00過ぎにはコペンハーゲンに戻れた。


デンマーク・ヘルシンゲル から、海峡を挟んで反対に見える スウェーデン・ヘルシンゲル市へ、フェリーで移動する。船は、15分に一本あり、所要時間は 20分ほど。片道 30 DKK、往復で 57 DKK(クレジットカード可)。往復チケットを購入したが、一枚に紙に「往復」と印字されているだけだった。

デンマーク側から乗船する際、パスポート・チェックと 乗船券チェックが行われた。

往来のフェリーは 3~4種類あるようで、それぞれ舟体内の型が違う。個人的にはハムレット号がよかったと思う(展望デッキのスペースなど)。
船内は Duty Free Shopでは、コンビニや ホットドック店などがある。かなり高級感あふれる船内だった。

スウェーデン到着後、再び、パスポートのチェック。日本人は欧州入国日のスタンプをチェックされるだけだった。

そして、フェリーターミナルから出る。この船内には、カルスバーグのビール缶セットを抱えたスウェーデン人たちが何人も乗り合わせていた。国際ビールメーカー大手カルスバークの出身地であるデンマークは、酒類の価格が北欧一安いため、買い付けで往復している人たちらしい。



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