『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2014年6月中旬


台湾 新北市淡水 ~ 新北市域内人口 396万人、台湾全体 一人当たり GDP 22,000 USD


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  台湾の地下鉄はきれいだけど、危険!?
  サン・ドミンゴ要塞(スペイン時代)/ アントニオ城(オランダ時代)の歴史
  英国、豪州、米国の領事館が入居していた要塞跡地
  Little White House(税関跡)と学園街
  台湾島の海路交易をめぐる日英の戦い ~ ダグラス社 事務所跡
  淡水河の歴史 ~ 中州の今昔
  台湾島の北岸線のバス・ドライブ



台北 駅から地下鉄 一本で、淡水駅まで行きつく。台湾の 地下鉄駅 構内は広いし、清潔である。
特に驚かされた点は、駅のホームに、「身の危険を感じた婦女が集うポイント & 警報機」が設置されていたことである(下写真右)。そんなに危ないのか、台湾の電車???

淡水市 淡水市 淡水市

下写真左が淡水駅の全景。駅ホームからの景色もすばらしい。このホームから見える対岸の山が、観音山(下写真右)。観音様が寝ている姿に見える、という由来。

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さてさて、ここ淡水地区の歴史はとりわけ複雑だ。

当時、ポルトガルとともに、東南アジア貿易を独占していたスペインに対し、オランダも新規参入を試みるようになる。イギリス艦隊の支援を得て マカオ のポルトガル拠点を攻撃するも失敗し、代わりに澎湖諸島を占拠する(1604年と1622年の二度、いずれも短期間の占領だった。下古絵図は澎湖諸島の住民らとオランダ軍との抗争を描いたもの)。

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明帝国はこれに激怒し、交渉の末の1624年、オランダは台湾島の 台南(大員)に拠点を設けられることになった。オランダによる台湾島南部の拠点確保により、中国(福建)ー東南アジア貿易(マニラ)の交易独占体制が脅かされたスペインは、 1626年に台湾北部に上陸後、基隆 に軍事要塞を築いたが、1628年、交易の利便性から淡水にも要塞を建造する。

このとき、淡水に建設された軍事要塞は サン・ドミンゴ要塞 と名付けられた。しかし、それは土と竹、木で組み立てられた簡易なものであったらしい。1636年には土着の台湾原住民によって焼打ちに遭っているようである。その後、大砲を備えた石壁による軍事要塞へと修築工事が進められることになった。これらを拠点に、スペイン勢は一時期、台湾島北西部の新竹まで勢力を拡大する。

しかし、フィリピンのマニラで反スペイン運動が巻き起こる中、スペインに台湾経営の余力がなくなると、1642年、その隙をついてオランダが基隆砦へ進出し、スペイン軍は無血開城する。と同時に、再建途上の淡水砦も破壊の上、すべてのスペイン勢力は台湾から撤退し、オランダによる東アジア貿易の覇権が確立する。オランダ軍は、破壊された淡水砦の再建を進め、1644年にアントニオ城として石と煉瓦で補強された二階建ての要塞を完成させる(下写真)。地上部分は貨物と大砲、兵員のためのスペースで、地下には食糧、弾薬などが保管されていたという。しかし、1661年の鄭成功による台南のオランダ拠点への侵攻に先立ち、台湾原住民らの襲撃にあったオランダ軍は、このアントニオ砦と大砲一式を爆破して撤退している。

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鄭成功はオランダ勢力の駆逐後、この淡水砦を修築し、防衛拠点の一つとした。

その後、1683年に鄭氏台湾は清朝に降伏し、1724年に清朝が淡水砦を接収し補修する。このとき、東西の大門と南北の小門を増築して、砲城と改名されるも、地元民の間では「紅毛城」と呼称されていくことになった。
時代は下って清末の 1858年、天津条約によって台湾島淡水港の開港が決定され、さらに追加締結された1860年の北京条約を待って、その翌年1861年、英国は淡水港付近に台湾副領事館を開設する(正領事館は 台南 に開設されていた)。続いて、1863年、英国はこの淡水の洋式砦を租借し、在淡水英国副領事館として正式に使用し始め、 1878年には台湾島における正規の領事館として昇格されることになる(当時すでに、高雄安平基隆 にも副領事館が開設されていた)。この後、砦後方に領事館施設と居住区が建設される。現在、見られる砦跡はこのとき英国により改修されたものである。砦の1F部分は炊事場と牢屋であり、領事の事務所は2F部分にあった(下写真)。

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砦は、空堀を有するものであった(下写真の右)。なお、この要塞は、周囲の外壁が厚さ 1.9mもある分厚いものであった。本来は正方形の要塞であったが、屋根付き廊下やテラスなども追加され、徐々に軍事目的としての利用が失われていったようである。

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下写真の中央の大砲は、ここに居住したイギリス人らの趣味の収集によるデコレーションだそうだ。時代遅れで使用不向きの大砲がこうして飾りに使われたようである。下写真の右は、清代に設置された石積み門が現在も使われている。

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台湾 の統治権が清国から日本へ移った後も、この砦は英国が租借し続けた。太平洋戦争中は閉鎖されていたが、1948年から再び、英国がここに入居する。1972年の英国ー台湾の国交断絶により、豪州、つづいて米国へと管理者が移り、1980年にようやく台湾に返還される。まさに台湾島にあって、長らく治外法権の地であった、と言える。

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この周りには、オックスフォートカレッジ(上写真中央)など、英国からのキリスト教普及を目指した教育施設が建てられている。今でも真理大学として学生たちが通学していた。その他、クリスチャン系の幼稚園、小学校、中学校の一貫校、台湾国立小学校や中学校などなど、教育施設がたくさん集まる、閑静な学園街である。その一角地に、Little White Houseと言われる、旧税関施設跡が残されていた(上写真右)。

アジア各港の開港により海運交易が活発となり、 蒸気機関船 を有する欧州勢はこの物流、貿易事業に携わり、巨額の利益を上げていった。こうした交易ブームの中で、 1860年、英領 香港(本社事務所は現在の香港大学の位置にあった)を拠点に、スコットランド人ダグラスによって、Douglas Steamship Companyが設立される。最初は中国南部と香港とを往来する船便会社であったが、後年、蒸気機関船を香港ー中国(厦門沙頭)ー台湾(安平、淡水)間にも就航拡大し、特に台湾ルートは Douglas 社のみが就航する独占市場となり、莫大な利益を手にしたとされる(現在価格でいえば、香港~淡水間で1トンあたり 7 USD、乗客は片道 45 USDぐらいであったようで、相当に高額な価格設定であったという)。台湾からの主な輸出品目は、ウーロン茶であった。

下の写真は、Douglas Steamship Companyを設立した、Douglas Lapraik (1818~1869年)の肖像画と、同社の事務所兼倉庫(Douglas Laprail & Co.)の跡。同社の淡水撤退後は、植民地政府の日本により消防局へと転用された。

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1895年に日本による植民地統治が開始された直後は、引き続き、 Douglas 社の蒸気機関船と帆船により、大陸貿易が継承された。ちなみに、日本軍の入島までの1週間ほど台湾独立を唱えていた、台湾民主国の総統「唐景崧」は、このDouglas 社の蒸気機関船で大陸中国へ逃亡している。

日本は進駐後すぐの1896年4月、日本大阪商船株式会社に神戸ー基隆 間の定期航路開拓を指示している(公的借款も与えられ、好待遇でスタートされた)。英国資本による台湾航路支配に対抗するためであった。さらに、大陸中国との交易ルートの独自就航も企図し、1899年3月に追加借款と指示書が、植民地政府より日本大阪商船に発せられる。翌4月には早速、最初の大陸間航路船が就航された。こうした政府の全面バックアップによるライバル出現により、暴利をむさぼってきた独占企業のDouglas 社も 1902年、台湾ルートから撤退し、本業であった中国南部ー香港 ルート事業に徹することになる。

下は、1930年代の淡水市街区。かつてのDouglas Laprail & Co社屋跡が見える。この当時は、消防局であった。現在は、この建物は博物館となっている(中正路316号)。ちょうど、地元市役所の目の前にある。

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ここの 淡水河 は台北まで遡る途中に、大きな中州があったが、今ではそこも埋め立てられて、ほとんど、陸続きとなっている。古地図と現在の地図を比較してみてほしい。

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淡水河の上流域を望む(下写真左)。台北 市街地へと続く。また、その横の写真は、逆方面の淡水河の河口付近を望む。観音山の足の部分にあたる。

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そして、この淡水駅前バスターミナルから、同じくスペイン勢の砦跡がある 基隆(Keelung)までの路線バスも運行されている。 826番バスで、基隆まで片道120ドル。2時間15分の長時間乗車となるが、途上で目にする海岸線や田舎町の風情を楽しめる。ちょうどこの海の向こうに沖縄や尖閣諸島があるわけだ。ドライブコースになっているらしい。このルートをひたすらバスは走る。
もし、台北経由での基隆行は、淡水から地下鉄で台北駅まで戻って、駅前バスターミナルから 基隆 へ向かった方が早く到着できるかも。しかし、海岸線の旅など、ノスタルジーを堪能されたい、というのであれば、862番バスで頑張るのも一手。

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