『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2017年11月中旬 『大陸西遊記』~


ベトナム首都 ハノイ市 ② ~ 人口 770万人、 一人当たり GDP 4,200 USD (国全体)


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  古螺(コーロア)城跡
  ホーチミン廟とホーチミンの遺言
 
大統領官邸と大統領府、高床式の別宅書斎部屋(ホーチミンの家)
  ホアロー収容所跡
  【豆知識】ホアロー収容所(火炉監獄) ■■■




古螺(コーロア)城跡

首都ハノイ直轄下のドンアイン(Đông Anh)県にある古城跡である。
ハノイ市内のロンビエン・バスターミナルから、路線バスで直接、訪問できる。筆者は、往路をタクシー移動し、その道中に路線バス経路を確認し、復路で路線バスを使ってハノイ市街地へ戻った。


ホーチミン廟

ハノイ訪問者が必ず訪れるメッカといってもよい場所だろう。この純白の軍服兵らに警護された建物内に、ホーチミンの遺体が永久保存されているという(下写真左)。

そもそも、1975年5月1日、79歳で死去したホーチミンは個人崇拝を禁止する遺書を残したが、その意向は無視されて、ベトナム共産党(旧労働党)政治局によって全国統一の象徴に祭り上げられることとなり、遺骸はロシア革命を主導したレーニンにならって永久保存され、ハノイ市のバディン広場に建設されたこの廟内に安置されることとなった。
下写真右は、このホーチミン廟の斜め前に 2012年に建設された、ベトナム国会議事堂。

ハノイ市 ハノイ市

この ホーチミン廟 の裏手に、ホーチミンが生前に生活し、執務を取っていたエリアが保存されている。
入園料 40,000ドンを支払い、チケットをスタッフに見せて入ると、最初に目に飛び込んでくるのが、旧大統領府の洋館(下写真左)。
この洋館の周りには、数百年の歴史を感じさせる大木がたくさん生息しており、その太い幹と高さに圧倒される。

下写真右は、旧大統領官邸。欧米のちょっとした豪農の屋敷程度の広さ。ここに車庫があり、自動車が3台展示されている。いずれも、ホーチミン専用車という。

ハノイ市 ハノイ市

そして、下写真左は有名な高床式建築の「ホーチミンの家」。実際には、ホーチミンは官邸に住んだと推察され、大樹に囲まれながら、この広大な庭園内に池や伝統的な高床式の小屋を建てて、余生を送っていたものと考えられる。
最も人気スポットとあり、というか、他に見るものがないためか、最も多くの観光客が列を作っていた場所だった。内部はきれいな書斎として公開されていた(下写真右)。

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下写真左は、ホーチミン博物館の入り口。写真で見ると、その巨大な建物は圧倒的な存在感を見せつけるが、離れて見ると、日本の地方にある総合体育館に見える(入館料 40,000ドン)。展示室がある3階まで階段で登る。内部はクーラーが効いていて、ホーチミン廟から外を歩きづくめだった訪問者らの憩いの場になっていた。

下写真右は、若かりしころのホーチミン(34歳)。いつもドン札で見るホーチミン像によって、好々爺のイメージが強く脳裏に焼き付いていたので、若い彼を目にしたとき、思わずシャッターを切ってしまった。
1923年にソビエト連邦に渡り、コミンテルン第5回大会でアジア担当の常任委員に選出された当時のもの(1924年)。初めて、共産主義者となった瞬間だった。

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ホアロー収容所跡

19世紀末、ハノイを直轄地に定め、仏領インドシアの本拠地として統治した当時、フランス植民地政府がその支配に反対するベトナム人愛国主義者らを収容した監獄である。
ベトナム戦争時には、北ベトナム人民解放軍により捕虜にされたアメリカ兵らが収容されていた。

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収容所の現役当時は上写真左のような敷地を誇っていたが、今日では上写真右の一部のみしか残っていないという。ちょうど上写真左の上辺部分のみに相当する。

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建物内(上写真左)は展示室になっており、独房や共同部屋、トイレ、拷問器具などが展示されていた。
囚人らから最も恐れられ「地獄の中の地獄」と表現された土牢独房では、鉄の鎖で身動きをふさがれたまま食事や就寝が強制され、空気と光が不足する中、囚人らの目は曇り、肌は水膨れだらけとなったという。ホーチミンの死後、共産国ベトナムの国家主席として権勢をふるい、最後はドイモイ政策導入まで導いた稀代の指導者チュオン・チン(Trường Chinh)も、1930~1936年の収監中に、この土牢独房に入れられたという(1932年5月1日の労働者の日を他の政治犯らとともに祝おうとした罪で)。
上写真右は、囚人らがフランス人刑務官らに虐待される場面をイメージしたもの。



 ホアロー収容所(火炉監獄)

ハノイ省懐徳府寿昌県下の永昌州の Phu Khanh 村内の土地に、1896年、フランス植民地政府によって建設された監獄である。

Phu Khanh 村では、もともとハノイ城下町へ販売する陶器製のストーブ(暖炉具)を製造していたエリアで、その他、陶器製の家庭用品(茶器、土瓶など)の生産も手掛けていたという。
特に、持ち運び用の暖房具(薪ストーブ)が代表商材となっており、当時、ホアロー(火炉)村とも別称されていた。手作業で生産された陶器類は、ハノイ城下町や国内外に広く流通、販売されていたという。一帯の通りは、薪ストーブ、石炭火力の暖炉具などを販売する商店も軒を連ね、比較的、豊かな生活を送る人々が多かったという。

しかし、フランス植民者らがハノイを占領すると、この集落地の住民、古い祖廟、家屋、村の会館などを別の地域へ強制移転させてしまう。もしくは、移転されることなく、完全に破壊されてしまった祖廟もあった。

ハノイ市

そして直後に、フランス植民地政府は裁判所、監獄、秘密警察の本部ビルの建設を開始し、一帯は半植民地運動に参加する愛国運動家を取り締まるフランス植民地政府の刑法執行テリトリーに生まれ変わる。
ここは総面積 12,908 m2もの敷地を有し、当時、仏領インドシナでも最大規模の監獄となる。
監獄名は Maison Centrale(「中央の家」 ー 母国フランスで伝統的に監獄を表現する際に用いられた婉曲文句)と命名され、その名残が今の博物館の入り口にも掲げられている。上写真。

ベトナム戦争当時には、米軍兵らを収容し、ハノイ・ヒルトンと皮肉られた地である(1987年に映画にもなっている)。ここには、2008年の共和党大統領候補となったジョン・マケイン氏も収容されたという。

しかし、1990年代に建物の大部分が破却され、今日、正面入り口の建物が博物館として残されるのみとなっている。




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