ホーム
中国地図 ~
三国志 遺跡 ~
中国 オススメ
世界の城郭
日本の城
歴史 雑学
城郭都市 概説
当研究会 情報
中国地図 から
≫
四川省 地図
≫
眉山市
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
四川省 眉山市 ~ 人口 296万人、 一人当たり GDP 30,000 元
➠➠➠ 眉山市内の 城跡リスト ➠➠➠
▼
クリック
▼
斉通県城(安楽県城、通義県城)
【 眉山市の 歴史 】
周囲の遺跡から、古代より人類の生息が確認されている土地柄であったが、眉山に関する記述が史書に登場するのは、南北朝時代の 496年、南斉朝により(犍為郡)武陽県の南側に斉通左郡が 分離・新設されてからである。
そして、南梁王朝の治世下の 520年代(上地図左)、斉通左郡は斉通郡へと改名され、同時に新たに築城された斉通県城がその郡都に定められる。
その後、青州、眉州などの上位行政区の変更があったものの、斉通県はそのまま存続された。
北周王朝の治世時代の 558年(上地図右)、斉通県が廃止され、安楽県が新設される。県役所は引き続き、この眉山市中心部にあった。その後も、度々、地名変更が行われる。
そして、隋代に入って眉山郡が設置され、郡役所が 龍游県城(今の楽山市中心部。下地図)に併設される。安楽県はこの眉山郡の管轄下に配された。
隋代後期の 606年、嘉州が眉州へ変更されると(上地図)、州役所が 通義県城(現在の眉山市中心部)内に併設される。後に 龍游県城へ再移転され、群都としての地位を喪失することとなった。
その後も、すぐ南側に位置する現在の楽山市と密接に絡み合いながら、行政区分けが実施されていった。
中華人民共和国の成立後、眉山県は楽山市下の一行政区に配されるも、後に中央政府の勧告に基づき、楽山市から分離独立する形で(1997年)、眉山市が成立し今日に至っている。
この地も、現在はかつての斉通県城時代から続く古城壁はすべて撤去されてしまっている。街の路地に少しばかりの名残が残る程度である。小北街、南大街、小南街、府街、正西街、小西街、大東街、正東街、倉房街、文廟街、順河街、馬草街、老泉街。
© 2004-2026 Institute of BTG
|
HOME
|
Contact us