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宜賓市
訪問日:20--年-月-旬 『大陸西遊記』~
四川省 宜賓市 ~ 人口 504万人、 一人当たり GDP 20,000 元
➠➠➠ 宜賓市内の 城跡リスト ➠➠➠
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宜賓県城(戎州城、叙州城)
【 宜賓市の 歴史 】
40000前の古代より人類の定住が確定されている土地であり、 5000~6000年前には農耕集落社会が形成されていたとされる。
中原地帯が戦乱に明け暮れる春秋戦国時代、僰人と呼ばれる民族がこの地に割拠し、農耕や狩猟採集を併用した生活を営んでいたようである。
前漢時代の紀元前 182年、現在の宜賓市中心部の前身となる僰道城が築城される。このとき、中原地帯より多くの漢民族らが入植させられてきたという。
さらに同じ前漢時代の紀元前 86年、犍為郡が新設されると、その郡役所が僰道城内に併設される。 以降、一帯の 12県を管轄する 行政、経済、文化、軍事の中心地として君臨した。
三国時代も含め、郡役所は僰道城(現在の宜賓市中心部)に開設されていたが、
一時期、これより南西へ 40 kmにある安辺鎮へ移転されていたこともあったが、唐代になって、再び僰道城へ戻されている。
北周朝の統治下にあった 560年代、僰道は外江へと改名されるも、隋代に再び僰道へ戻されている。
同じ南北朝時代、この地を支配した梁王朝により戎州へと改名され、この州都として機能する。
そして北宋時代の 1114年、戎州から叙州へ改名され、引き続き、僰道城が州都を務めた(この同じタイミングで、僰道は宜賓へ改称される)。
その後、南宋末期のモンゴル軍の四川侵攻の折は、早々に占領され、大規模な破壊と略奪を受けることとなった。
そのモンゴル族が元王朝を建国すると、叙州は叙路へ改名される。
明代、清代には叙府へと改編されている。
現在は、かつての僰道城時代から続く古城壁はほぼすべて撤去されてしまっているが、戎州大橋脇の公園内に、わずかばかりの城壁遺構が保存されている。
また、街の路地にもかつての名残りを残す名称が見受けられる。北正街、南街、西街、東街、東楼街、合江門広場、鼓楼街、県府街(県役所跡)、専署街(官庁街跡)、走馬街、打金街、忠孝街(かつて関帝廟があった)など。
城外西側にある人民公園内の翠湖は、かつての堀川跡である。
上絵図は往時の古城時代の様子。下写真は 1915年撮影の古城風景。
下写真は古城時代の河の合流ポイント。
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