BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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陝西省 楡林市 ~ 人口 336万人、 一人当たり GDP 69,000 元


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  長州城(靖辺県城)
  夏州城(統万城、白城子)
  綏州城(綏徳県城)
  銀州城(横山県城)
  紅山(万里の長城、榆林衛)



【 楡林市の 歴史 】

夏王朝、商王朝の時代、榆林市の 北側(現在の 神木、府谷、佳県一帯)は、北方民族「翟族」の版図下におかれていた。周王朝時代に、雍州が設置された際には、この北方民族領の一部も割譲され、その管轄下とされた。

春秋戦国時代を経て紀元前 221年、秦により中国全土は統一され、新しい行政統治区として全国が 36郡の行政区に分けられる。
戦国時代から秦国の上郡に帰属してきた、この榆林市一帯は、そのまま上郡として一つの郡を形成することになる。下地図。

楡林市

楡林市

前後漢時代もこの行政区が踏襲されたが(上地図)、後漢末の三国時代動乱の最中、かつての上郡と西河郡は 北方民族「匈奴」の領土とされ、中原の王朝史に属しない時期に突入する。下地図。

楡林市

そして五胡十六国時代期の 413年、匈奴部族によりこの地に大夏国が建国される(下地図)。その王都が、現在に残る 統万城遺跡(中国陝西省楡林市靖辺県)である。別名、白城子とも呼ばれるこの遺跡は、10万人の人員を駆使して 6年間の歳月をかけて、漢代の 奢延県城(上地図)を大規模に改修させたものという。

匈奴民族は文字を持たなかっため、その歴史的遺物は一切残されていないが、その唯一の遺構がこの統万城遺跡となっている、ということである。下地図。

楡林市

しかし、その大夏国も王都が完成してからすぐの 427年、北魏朝により滅亡に追い込まれると、新たな統治機構として王都跡に統万鎮が開設される。488年には夏州へと昇格されることとなる。

下地図は、497年当時の様子。

楡林市

隋代の 583年、夏州(その役所は統万城遺跡に開設)、 長州(その役所は今の靖辺県内)、綏州(その役所は綏徳県城)、銀州(その役所は横山県内)の 4州が新設される。

これ以降も、度々、行政区や地名変更が実施される。

下地図は、北宋時代の 1111年当時の様子。

楡林市

明代においては、対北方民族戦線 9拠点(遼東・薊州・宣府・遷西・大同・山西・楡林・寧夏・固原・甘粛)の一つとして、1471年、 「万里の長城」守備兵&予備兵力の駐留施設として榆林衛が設置されている。榆林市街区から北へ 4 kmのところに、紅山長城と呼ばれる、「万里の長城」観光でも有名な一区画がある。この地には鎮北台という、明代の長城で最大の 物見台(狼煙台)があり、かつての重要な軍事施設の遺跡である。

また、楡林市の北部には、「夥(伙)場」という地名を持つ村が多く点在しているが、これは任務中の兵士らが食事や休憩をするための場所であった跡地の名残である。

楡林市

楡林市

楡林市


なお、現在の楡林市街区であるが、ここは明代の万里の長城を守備する兵士らの駐屯地、後衛地となっていたようで、その路地名にいくつか名残を感じる。しかし、ここに城壁を持つ城郭都市があったわけではない。

下地図にある楡林市靖辺県では、隋代に開設された長県を由来とする 城壁都市があった形跡がその路地名から伺われた。東大街、西大街、南大街、北大街、濱河路、南関街。

楡林市


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