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山西省晋城市 ~ 人口 235万人、 一人当たり GDP 29,000 元


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  高都県城(高都邑城、高都郡城、高平郡城、建州城、【初代】澤州城) 陽阿県城(建興郡城)
  获澤県城(获澤邑城、陽城県城、【4代目】澤州城、澤州府城)
  端氏県城(端氏邑城、【2代目】澤州城)
  丹川県城(【初代】建州城)
  晋城県城(【2代目】建州城、【3代目】澤州城、南澤州城)



【 晋城市の歴史 】

市内の塔水河遺跡や小南海遺跡、下川遺跡の発掘調査から、すでに2万年前の旧石器時代より、人類の生息が確認されているという。
地元では、今の晋城市陽城県を流れる获澤河の両岸にある石門と、中央を通る丹河(今の晋城市澤州県)は、禹王が黄河の治水事業の一環で掘削したものと伝えられているらしい。

晋城市

夏王朝の最後の国王である桀王は、鳴条の戦いで成湯らに大敗を喫すると(上地図)、そのまま天門(今日の晋城市の名所である関隘天井関)へ敗走し、最終的には垂の地(今の晋城市澤州県高都鎮)で死去することとなる。

その直後、成湯は商(殷)王朝を建国するに至る。しかし、直後に大旱魃に直面し、領土は大いに荒廃することとなった。このとき、成湯(湯王)は晋城市一帯に桑の木を植樹し、桑林(今の晋城市陽城県にある上・下桑林村)を造園する。そして、この桑林の社で自らを生贄にして雨乞いをした、という伝説が残されている。
古代中国において、桑の木は陽の精をあらわす神木であり、あらゆる生命のシンボルと考えられていた。

春秋時代期、晋城市エリアは、晋国の領土下に属し、戦国時代に入ると、最初は魏国、後に韓国、趙国と、次々に為政者の変遷を目にすることとなる。
春秋時代末期のころには、現在の晋城市域には、高都邑、获澤邑(今の晋城市陽城県の旧市街地)、端氏邑、泫氏邑などの城邑が設置されていた。下地図。

晋城市

時は下って、後漢時代には陽阿(陽阿古城:晋城市澤州県大陽鎮)と获澤(今の晋城市陽城県の旧市街地)に侯国が建国されていた。

五胡十六国時代下の384年、前燕朝の皇室出身の慕容永により、西燕朝が建国されると、すぐに陽阿県城(今の晋城市晋城市澤州県大陽鎮)を郡都とする建興郡が新設される。 448年に北魏朝により建興郡が廃止されるも、464年に再び復活設置となる。最終的に529年、建興郡は建州(州都は高都県城【現在の晋城市中心部東側】)へ改称され、高都郡(448年により高都県城が郡都を兼務)、安平郡、泰寧郡、長平郡の4郡を統括した。

北斉時代の556年、泰寧郡と長平郡の2郡が廃止され、高都郡と安平郡の2郡体制となる。北周朝もこの統治体制を踏襲した。なお、この頃、高都郡が高平郡へ改称されるも、引き続き、郡都は高都県城のままとされた。

晋城市

南北朝時代を統一した隋代の583年、建州城(州都は高都県城【現在の晋城市中心部東側】)が获澤河のそばにあったことから澤州へ改名される。同時に、高平郡が廃止される。
598年には、州内に丹河が流れていたことから、丹川県(今の晋城市澤州県高都鎮)が新設される。一時期、澤州の州役所が移転されてもいる。

604年、漢王の楊諒が反乱を起こし、兄の2代目皇帝の煬帝が在する王都・長安へ向けて兵を進める一方、配下の張伯英を澤州刺史に派遣している。しかし、同年中に隋の朝廷軍により鎮圧されてしまう。

李淵が618年に唐王朝を建国すると、澤州(获澤県、端氏県、沁水県を統括)、盖州(丹川県、盖城県、陵川県、高平県を統括)、建州(丹川県から分離・新設された晋城県城を郡都とする)の3州が設置されることとなる。

624年には建州が廃止され、盖州へ編入される(すぐに復活される)。626年、澤州の州役所が端氏県城へ移転される。
627年、今度は盖州が廃止され、澤州(晋城県城が州都)へ吸収合併されることとなる。
758年、澤州は河東道(後に昭義節度使へ改編)の監督下に組み込まれる。

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756年、安禄山が唐朝の玄宗に対し安史の乱を起こすと、史思明もその配下として各地を転戦することとなる。安禄山の死後は、史思明がその勢力を引き継ぐも、 761年に長男の史朝義により殺害される。反乱軍の勢力を継承した史朝義は、翌762年、兵を率いて澤州城(晋城県城)を包囲するも、唐側の澤州刺史であった李抱玉が籠城戦で対抗する。窮した李抱玉は代国公の郭子儀に救援を要請し、内外から挟み撃ちにあった史朝義の軍は壊滅し、澤州城は解放されるに至る。下地図。

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843年に昭義節度使の劉從が死去すると、その子の劉稹はこれを秘密裏に処理し、喪に服さなかった。あわせて、朝廷へ上奏し、劉從の任を自分へ譲渡させるように朝廷を脅迫する。
これに対し、唐朝は河陽節度使の兵馬使の馬継ら兵2000を派遣し、劉稹討伐を指揮させる。劉稹も薛茂卿を派遣し、両軍は天井関南科斗店一帯で激突する。 最終的に、劉稹は薛破科斗店で馬継を捕縛することに成功する。
しかし翌844年、時の宰相であった李徳裕の上奏により、成得、魏博、河中節度使の兵力も動員されるに至り、劉稹軍は敗走し、完全鎮圧される。以後、澤州は河陽節度使の管轄下に組み込まれた。下地図。

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888年、黄巣の乱の平定戦で大功を立て河東節度使(太原府城)に任じられていた李克用の指示の下、河陽節度使であった李罕之が澤州城を占領する。
890年、李克用は昭義節度使の李克修を殺害し、実弟の李克恭を後任に就かせるも、これに不満を持つ昭義節度使の軍人らの反発を受け、間もなく、李克恭も暗殺されてしまう。このとき、澤州刺史兼河陽節度使であった李罕之が李克用の命により昭義軍を継承し、統括することとなる。

しかし898年、李罕之の恐怖政治による澤州統治に激怒した李克用は、河東節度使の李嗣昭を派遣し、李罕之の本拠地であった澤州城(晋城県城)を陥落させると、李罕之は朱温(後の後梁国の初代皇帝:朱全忠へ改名)に帰順することとなり(同年中に病死する)、翌899年以降、李克用と朱温の両勢力は澤州をめぐり、 争奪戦を繰り広げることとなる。下地図。

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901年、朱温は大将の氏叔琮を派遣し、李克用を攻撃する。太行へ侵入し、天井関攔車鎮(今の晋城市の南部)を併合し、澤州城(晋城県城)をも陥落させるに至る。

905年、澤州の州役所が晋城県城から丹川県城へ戻され、陽城県は获澤県へ改称される。

後梁時代の923年、澤州城(丹川県城)で勃発した反乱を制圧した功績により、董璋が澤州刺史に任じられる。上地図。
しかし、同年後半に後梁朝が後唐により滅ぼされると、澤州城にあった董璋も後唐朝に帰順する。このとき、澤州役所は晋城県城へ再移転され、获澤県は陽城県へ再改称された。
後に、前蜀を滅ぼした後唐朝により、戦功のあった董璋は剣南東川節度副大使に封じられている。

北漢時代の947年、昭義軍が北漢に帰順する。このとき、澤州は昭義軍に帰属された。

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後周時代の951年12月、後周朝の皇太子であった柴榮の率いる軍が烏嶺(今の沁水と翼城の中間地帯)にて、劉崇の建国した北漢朝と激突し、大破する。以後、北漢朝は北の遼朝の傘下に入ることで、かろうじて国防を賄うこととなる。
954年3月、後周朝の初代皇帝であった郭威が死去し、2代目皇帝として柴榮が即位すると、その混乱をねらって、北漢の劉崇が再び南下するも、澤州内の高平(現在の晋城市高平市一帯)で大敗を喫する。

北宋時代の960年、昭義節度使の李筠が反宋で挙兵するも、宋初代皇帝(趙匡胤)自らが李筠討伐を指揮し、澤州城を占領する(河東路に帰属された)。
1126年には女真族の金軍が澤州へ侵入する。 1128年、当地を占領した金朝により、澤州は南澤州へ改称され、元時代の1223年には、忠昌軍節度へ昇格される。

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1217年、モンゴルのチンギス・ハーンが木华黎を太師かつ国王に任じ、南征を実行させて、澤州を陥落させる。
1229年に金朝の枢密判官であった移刺蒲阿が澤州を再奪還するも、1232年に段直がモンゴル軍に帰順し、再びモンゴル領に併合されてしまう。段直はそのまま澤州長官に任じられている。その後も、澤州を巡って金朝とモンゴル軍の戦いが続くこととなる。上地図。

元代初期、澤州は平陽路(1305年、晋寧路へ改編)に帰属され、司侯司が開設された。 1335年、府城玉皇廟が再建される。1339年には澤州の州役所も改修工事が施される。

晋城市

元代も末期となった1368年、明軍が澤州を併合する。

1373年には益国鉄冶所が開設され、中国13製鉄所の一角を成した。

1376年、澤州は直隷州へ昇格され、山西布政司に帰属された。当時、澤州は陽城県、高平県、沁水県、陵川県の4県を統括した。下地図。

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明末期の1644年、李自成が農民反乱軍を率いて大順国を建国すると、配下の劉忠が清軍を西葦町堡で撃破し、同年10月には高平県城の攻撃が始まる。同年中にも大順義軍の劉芳亮により、澤州(州都は陽城県城)の全域が占領されるに至る。下地図。

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清朝治世下の1728年、澤州が澤州府へ昇格され、陽城県、沁水県、高平県、陵川県、鳳台県の5県を統括することとされた。
1867年、反清運動で結集した民衆反乱の捻軍が澤州府城(陽城県城)を占領する。
1905年には清朝政府により、市内に鉄道が敷設される。

中華民国時代の1914年、澤州府が廃止され、府役所(鳳台と通称された)が晋城県役所へ転用される(冀寧道【後に山西省】に所属)。

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