BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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江西省 景徳鎮市 ~ 人口 171万人、 一人当たり GDP 41,000 元


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  浮梁県城(新平県城、浮梁州城)
  景徳鎮(新平鎮、昌南鎮)



【 景徳鎮市の 歴史 】

景徳鎮市一帯は春秋時代には楚の国の東端にあり、戦国時代には完全に楚領下に組み込まれていた。
紀元前 221年に中原の統一を成し遂げた秦朝の治世下では 九江郡番県の管轄区に属し、漢代には豫章郡鄱陽県に、 東晋時代には新平鎮に帰属した。 なお、後漢時代より、この地方で陶器製造が始まったとされている。

時は下って、唐代の 621年、新平県が新設され、新平鎮はここの管轄下に置かれた。昌江の河岸南にあったので、昌南鎮とも別称されたという。
新平県の県役所は 新昌江口(旧称、新昌県)に開設された。742年、新平県が浮梁県へと改称される。現在の景徳鎮市を含んだ昌南鎮は、 引き続き、浮梁県の管轄下に属した。
このころ、昌南鎮から算出される土壌が非常に良質であるということもあり、南方の青色陶磁器の精製技術と、 北方地方の白色陶磁器の精製技術を混ぜ合わせて、青色と白色の混在する陶磁器の製造が手がけられるようになる。 青白陶磁器は以後、欧州へ大量に輸出されていくこととなった。

昌南鎮で精製される青白陶磁器の質が非常によく、宋代の 1004年、これを愛でた時の皇帝は当時の年号から命名して、景徳鎮へと改名する。これが今日まで継承される名称となった。
18世紀に入るまで、欧州では陶磁器を精製することができず、中国産の陶磁器、特に色合い豊かな昌南鎮産の陶磁器が人気を博すこととなる。
欧州では陶磁器は高価な貴重品として取り扱われ、「昌南(Channan)」製の陶磁器ということで、Chinaという一地方の 名称が中国自体を指す総称へと変貌し、ついに陶磁器の 国=China=中国という固有名称が確立していったとされている。

景徳鎮市

元代においても、この地方の陶磁器産業が盛んで、浮梁県は一時期、浮梁州へ昇格されるまでになる。
明代には浮梁州が浮梁県へと降格され、以後、景徳鎮は県級エリアとして近代まで継承されていくこととなる。

しかし、清代中期以降、陶磁器生産は衰退の一途をたどり、技術者の数も激減していったという。 アヘン戦争以後は、安価な欧州産の商品が大量流入し、陶磁器産業の壊滅にとどめを刺した。

中華民国が建国された後の 1916年、浮梁県の県役所が 旧城壁都市(今の 浮梁県)から景徳鎮へ移転される。 1927~1929年に、景徳鎮が一度、景徳市へと昇格される。中華民国時代から日中戦争時代の激動の時代に、 景徳鎮がこのエリアの 政治、経済、軍事の中心都市として発展を遂げ、共産党中国の建国後に景徳鎮市の開設へつながることになる。

景徳鎮市

なお、現在の 景徳鎮市中心部(珠山区)であるが、 小さな鎮城レベルのものが昌江沿いにあったものと推察される。ちょうど、蓮花塘と昌江の間部分が 旧市街地にあたる。今日では全く跡形も残されていない。珠山中路上に南門口頭という名称のバス停があるが、 これが唯一の名残と言える。

しかし、この中心部から北へ 7 kmのところにある浮梁県の旧市街地には、浮梁県城跡が保存され、 観光地として整備されている(上写真)。


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