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寧夏回族自治区石嘴山市 ~ 人口 74万人、 一人当たり GDP 56,000 元


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  平羅県城



【 石嘴山市の歴史 】

この地域は、西周~春秋戦国時代にかけて、北方遊牧民族らの居住区であった。
中国本土を統一した秦王朝の時代、北地郡富平県の管轄下に入ることとなる。
前漢時代には北地郡方梁県、後漢時代には北地郡廉県の下に置かれた。
南北朝時代、北魏王朝下の歴城郡建安県に帰属した。そして、隋朝の時代には、霊武郡霊武県の下に入る。唐代には警州に、北宋時代には定州に帰属した。一時的に西夏の支配下に入るも、元代には定州管轄下に戻された。明代の1551年、平虜千戸所と地名変更される。
清代に入ってすぐ、平羅所へ改称される。1724年には、平羅県が設置された。元来、黄河上流域にあたり、土地が手狭であったこともあり、古代より 黄河の河原西岸一帯の埋め立て工事が進められてきた。 これにより、西岸の土地面積は拡大したものの、徐々に、その東岸に土砂が堆積するようになってしまう。 1784年、陝粛総督の奏准により河岸整備が行われている。
中華人民共和国が建国されて初めて、この地は石嘴山と命名されることになる。

石嘴山市

なお、現在の石嘴山市街区は近代以降に開発された都市であり、歴史的な遺産は特にない。かつては長城防衛のための狼煙台が置かれるなど、小さな集落が形成されたに過ぎない。

南東へ20kmのところにある、黄河流域の平羅県には、かつて清代に設置された県城跡が残る。城壁は撤去されてしまっているが、路地名がはっきりと古の時代を物語っていた(鼓楼街、環衛路、北門超市など)。また、かつて、時報の金を鳴らしていた、鼓楼跡も保存されている。


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