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甘粛省張掖市 ~ 人口 121万人、 一人当たり GDP 17,500 元


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  張掖郡城(甘州府城)



【 張掖市の歴史 】

この地は、古くから西域民族の居住区であった。前漢時代、第7代皇帝「武帝」の命により派遣された征西将軍「霍去病」は、匈奴軍を撃破し、 西域側へ広大な領土を確保することに成功する。 早速、西域統治制度の整備が進められ、紀元前121年、この地に張掖郡が設置された(この地名は、漢帝国の国威は強大にて西域をも制す「張国臂掖、以通西域」という言葉から由来するという)。以後、この地はユーラシア大陸東西を結ぶシルクロード上の重要な交易拠点の一つとして発展していく。
北魏時代の554年、甘州へと改名される(領域内の甘泉という泉から命名)。水資源も物産も豊富な地ということで、別名、「金張掖」とも称されていた。

張掖市

北宋時代の1028年、党項族「李元昊」により西夏が建国される。このとき、現在の張掖市一帯も支配下におさめた。
元代になると、張掖は甘粛行省省会へと改編される。
明代、張掖には隴西行都司と甘粛鎮の役所が設置された。清代には張掖は甘州府の治所(役所)が設置され、甘粛統軍の駐留地となっている。

張掖市

なお、この張掖古城であるが、今日では完全に城壁も撤去されてしまっている。しかし、かつての城郭都市の面影は、たくさん残る路地名から生々しく想像できる。北大街、東大街、南大街、西大街、大衛門街、北水橋街、県府街、南城巷、西来寺巷、大佛寺巷、文廟巷、馬神廟巷、水池街。
おそらく、内城と外城の二重構造になっていたであろう。


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