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訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


アイルランド ドロヘダ市 ~ 人口 3.6万人、 一人当たり GDP 42,000 USD (国全体)


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  セント・ローレンス門(東門)と城壁
  マグダレン塔と北側城壁跡
  ボイン川と鉄道陸橋(1855年完成)
  イギリスの清教徒革命とクロムウェルによるドロヘダ攻城戦
  ミルモント城塞とその歴史
  ミルモント城塞一帯の城壁跡
  ミルモント城博物館のガイドさんのお話
  ドロヘダ⇔ダブリン市中心部へは都市間バスが便利、ダブリン空港の無料電話




ドロヘダ市

さてさて、ドロヘダ城の城壁巡りであるが、現存する城門は東門のみとなっている。

その正式名称は、セント・ローレンス門で、1250年ごろにドロヘダ城壁すべてが全面石積みに改修された際に、建造されたと考えられている。4階建て円塔を2つ装備する現在の姿は、15世紀に増築されたもので、もともとは低い城門であったらしい。

ドロヘダ市 ドロヘダ市
ドロヘダ市 ドロヘダ市
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セント・ローレンス門の南側には城壁跡が一部残る(上写真)。
このまま城壁のあった並びを北側まで行き、マグダレン塔を見学した。下写真左は東側の城壁跡。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

結構、急な傾斜になっており、この丘の頂上一帯に北側城壁が連なっていたはずである(上写真右)。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

マグダレン塔であるが、1224年に建設された修道院内の教会に付随した塔で、この部分に関しては14世紀に追加で設置されたものという。1649年のクロムウェルの攻城戦では、大砲により教会は大いに破壊されたとされる。下写真の奥に見える高い建物がそれ。

ドロヘダ市

北側の城壁跡から旧市街地のメインストリーへ歩みを進めてみた。城壁が、街中に細々と残存していることが分かる(上写真)。
下写真は旧市街地区のメインストリート

ドロヘダ市 ドロヘダ市 ドロヘダ市

ドロヘダの中央部を流れるボイン川沿いには、城壁の一部も残されている。
また、ボイン川の河口部に、鉄道陸橋が見える(下写真)。これは、1855年に完成したもので、時折、上流に遡る大型貨物船の運行に対応すべく、高く設定(30.48 m)されているという。

ドロヘダ市
ドロヘダ市

ドロヘダの街は、全長112kmのボイン川の河口部分に位置し、そのロケーションを活かして集落が形成され、さらに、海岸部の魚介類の交易都市としても発展したようである。

特に有名な歴史上のエピソードとしては、1649年に英国で清教徒革命(ピューリタン革命)が起こり、クロムウェル率いるプロテスタント派のイギリス共和国軍が、カトリック勢力と英国王統派の勢力が残存するアイルランドへ向けて軍隊を派遣した際の攻城戦であろう。

当時すでに、カトリック宗派間の対立に絡む長期内戦で疲弊していたアイルランド各地では、これに対抗する余力も残されておらず、各地でイギリス共和国軍によるカトリック教徒の大虐殺や、容赦ない財産の没収と略奪が引き起こされることとなった。

ドロヘダ市

クロムウェル率いるイギリス共和国軍が最大都市ダブリンに上陸後、最初に攻撃を加えたのが、このドロヘダ城である。上地図。
1649年9月11日から大砲による城壁への砲撃が開始され、2箇所の突破口からクロムウェル軍(12,000人)が市街地へ流入する。乱入した兵士らにより、カトリック聖職者や兵士ら(守備兵3,100人)は全員虐殺されてしまう。下絵図。

ドロヘダ市

最も高台にあったミルモント城塞内の200名の兵士らは最後まで抵抗するも、降伏するや否や、そのまま全員処刑されたという。
その他、多くの一般住民らも犠牲になったという。

クロムウェルの死後、英国では王政復古があり、再びカトリック保護のジェームズ二世が即位(1685年)するも、名誉革命が起こって、国王は英国から逃亡を余儀なくされる(1688年)。こうしてプロテスタントを主軸とするイギリス軍(36,000人)と、カトリック側のジェームズ二世、フランスの援軍、そしてアイルランド領主たちの連合軍(25,000人)が激突することとなった。
これが、1690年7月1日(現在の日付で7月11日)に勃発したボイン川の戦いである。ドロヘダ市から上流へ8kmの地点であった。
英国軍の勝利後、アイルランドのカトリック教徒らは小作人や僻地の領主へと押し込まれ、宗教により、社会階層が固定化されることとなる。

なお、このクロムウェルによる攻城エピソードばかりがクローズアップされがちだが、当時、ドロヘダ城は難攻不落で名の通った堅城都市であった。実際、カトリック宗派間の小競り合いで、 1641年12月~42年3月の4か月間、フェリム・オニール率いる敵軍の攻撃を受けるも、その撃退に成功している。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

さて、ミルモント城塞の見学だが、向かいにある博物館のみで入場料3.5 EUR、塔のみで3 EUR、両方あわせてなら5.5 EURであった。
この円塔の下の土は、人の手で盛り上げられたものという。古代には貴人の墓とされており、それが要塞に援用されたと考えられている。

12世紀、ノルマン人らがドロヘダの地に集落地を造成するにあたり、城塞として利用するようになったとされる。1649年のクロムウェルによるドロヘダ攻撃で最後まで落城しなかった要塞として有名で、街の人々のシンボルとして市民の寄付で保存・運営されているいう(国からの補助金なし)。
現在、音波調査により、内部構造や異物などを調査中ということだった。新規情報は出次第、博物館のサイト(http://www.millmount.net)で掲載される、という。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

現存する塔は、1808年に建造されたものだが、1922年の独立戦争でアイルランド自由軍が立てこもり、大いに損壊してしまうこととなる。上写真左。
上写真右は、現在の塔内部。さまざまな軍事史関連の資料が展示されている。

また、塔の周辺には、しっかりと城壁が保存されていた。

ドロヘダ市 ドロヘダ市
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塔下の道沿いにも、一部の城壁が残されている。
この城壁には、当時、17箇所に設置されていた城塔の土台部分であり、正式名称はバター門(Butter Gate)というらしい。このすぐ横にあった聖ジョーン門(St. John's Gate)では入城の際、入城税が徴収されていた。

ドロヘダ市

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筆者が訪問したのは日曜日だったので、博物館の開店時間は14:00~17:00(月~土曜は10:00~17:30)だった。

まず、博物館へ入り、両方の料金を支払おうとするや否や、二人のご老人(男性)が出迎えてくれて、今から個人的に案内するので、あなたは時間があるか??と質問された。
時間は大丈夫、と答えると、奥の部屋から順番にみっちり案内してくれた。

当市のギルド団体(職業人集団)が作成した、政治メッセージを込めた旗が、この博物館の目玉らしい。
国王が木に隠れて、商人と漁師らが街を支配する様子を描いた旗、ギルド集団の紋章を業界の象徴的な道具(金槌など)で彩った旗など、さまざまだ。アイルランドでも現存するものがなく、貴重な歴史遺産だという。

また、小作農民らを描いた絵画では、少女の恰好をさせられた少年に関する話があった。中世の時代、幼い男児を誘拐する人さらいが横行しており、これに対抗するために、小作農らは少女の恰好をさせて予防していた、ということだ。

また、近代化とともに、街中の織物工場で働く農村の少年らが増していくと、11歳ぐらいには就職していったという。
そのときの職業適性試験がこれ(下写真左のパズル)。今では3歳の子供が遊ぶ形当てクイズみたいものだが、これが11歳の少年工の入社試験だったという。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

また、かつての小作農(カトリック信者)たちの生活は苦しく(上写真)、逆に大農園主ら(プロテスタント信者)は皆、ロンドンに移住してしまい、当地には休暇に戻る程度だったという。

近代化にともない、社会階層で異なる人々の服装の話題にもなった。当時は、男尊女卑の考え方が濃厚で、男性のステータスや発言が重要視され、女性は軽んじられた。
労働運動パレードを撮影した写真でも、プラカードや旗をもって歩くにはすべて男性のみだった。男性であれば、少年でもよく、女性は全くそうした権利がなかったようである。

なお、その男性の服装だが、小学生低学年までは帽子がなく、高学年以降には帽子をかぶるという通過儀礼があり、これが大人へのステータスと認識されていた。この帽子をかぶる年齢の少年たちが工場勤務の資格者となったわけである。
労働者や農民らは柔らかい素材の帽子で、裕福な人々は堅い素材の帽子をかぶったという。

また、かつては関税などで守られていた都市の手工業職人や商売も、近代化の中で他国の製品に押され、多くの産業が衰退する。これに合わせ、多くのドロヘダ市民は、ダブリンなどの大都市部へ出稼ぎに出ることとなったという。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

最後に、地元ドロヘダ出身のプロボクサーであるジョン・コールドウェルが、この博物館を訪問した際に、自分の展示スペースも提案されて快諾し、後日、寄贈したのが、現在目にできるトレーニングTシャツであったという。
彼は、メルボルン・オリンピック(1956年)でフライ級の銅メダルを獲得した人物で、3年前に移住先のカナダで病死したそうだ。地元の英雄として、彼の銅像はボイン川の河畔に立てられている。

地下には、古い家具類などが保管されていた。アイロンがなかなか重かった。また、かつての漁師らの手製ボートもあった。
この同じ造りはカナダでも残っており、多くのアイルランド系移民が彼の地へ渡った証拠と見られている。上写真右。

と、このような説明を、延々と2時間半もの間、話し続けてくれた。結構、疲れたが、濃い内容を聞けて満足だった。
下写真左は、ミルモント城塞の背後にある城壁の一部。
下写真右は、同じくミルモント城塞の背後のエリアで、欧州らしい集合住宅。一帯には同じような集合住宅がたくさんあった。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

帰りは、17:00のバスでダブリン空港へ移動した(100Xバス。1時間に一本運行)。
ちなみに、ダブリン中心部へは101バスか、101Xバスが走る(20分に一本運行)。
ドロヘダ観光の場合、鉄道駅は離れているので、都市間バスの利用が最も便利かと思われる。

ドロヘダ市


筆者は、夜遅くに到着したので、空港近くのメトロ・ホテル(ダブリン・エアポート)に投宿した(週末料金となり、やや高めの93 EUR)。
このホテルは、空港から電話すると、無料でシャトルバスを出してくれる。

ドロヘダ市 ドロヘダ市

その電話が、現地の携帯電話を有しない我々には問題なのだが、なんと空港内に無料電話が設置されているのだ!!
空港ターミナル1の到着ロビー端にある観光案内所の横に、ホテルへの直通無料電話がある!
メトロホテルは、120をプッシュすれば、そのままホテルフロントまで通じ、シャトルバスをリクエストできる。
他に、空港周辺のいくつかのホテルも、専用電話を設置していた。

ホテル出迎えを依頼したとき、たまたま、シャトルバスのドライバーが休憩中や非番の場合は、タクシーで来るように言われるので、レシートをもらえば(約15 EURぐらい)、フロントで現金にて即、返金してもらえる!!!

ちなみに、ホテルから空港までのシャトルバスは5 EURかかる。
空港からホテルの行程のみが無料になる仕組み。

さらに、このホテルの横にあるバス停から、30分でダブリン中心部まで行ける(2.7 EUR、所要時間30分)。
路線バスは平日は15分毎、土曜日は30分毎、日曜日は1時間に一本の割合で運行されている。

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メトロホテルに荷物を預けて、シャトルバスで空港まで移動し(5 EUR)、空港から100Xの路線バスでドロヘダへ行ける(片道 7 EUR)。1時間に一本運行。

しかし、筆者がドロヘダへのルートをホテル・フロントで相談していると、午前11:00でスタッフの一人が帰宅するというので、帰宅途上の自家用車に便乗させてもらえた。
途中、牧場地帯などを案内してくれながら、だいたい40分でドロヘダに到着。時間と交通費が節約できてラッキーだった。

帰りは、ドロヘダ発17:05の都市間バスでダブリン空港へ移動した。ここからホテルに電話して、メトロホテルへ戻り、路線バス(30分)でダブリン市内へ移動することとなる。



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