BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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訪問日:2014年6月上旬 『大陸西遊記』~


四川省 南充市 蓬安県 ~ 県内人口 10万人、一人当たり GDP 19,000 元 (南充市 全体)


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  蓬安鎮城
  前漢代の 文学者「司馬 相如」故郷
  萬寿宮 と 財神楼
  運山城



蓬安県の歴史はとても長い。春秋戦国時代にあって巴国に帰属し、早くから嘉陵江の水運交易地として集落を形成していたようである。そして、秦による巴国滅亡後は、巴郡に属した。秦滅亡後、劉邦により安漢県が設置され、ここの管轄下となる。

紀元前 179年、この地で文学者「司馬 相如」が誕生する。小説『子虚の賦』が有名らしい。

南朝の梁王朝時代の 507年、武帝の萧衍により相如県が設置され、「司馬 相如」の生家跡地に県役所が建設された。
明代に入り、相如県は蓬州直轄地になる。そして清滅亡後の中華民国時代に、蓬州は蓬安と改名され、現在まで至る。

蓬安県鎮

蓬安県鎮

蓬安県鎮 蓬安県鎮

南充市 のバスターミナルにて、蓬安県行バス(19.5 元)がある。近年、新しい高速道路が開通し、移動時間が大幅に短縮されたとのこと、片道 45分。

ここ 蓬安鎮 で有名なものは、3つある。すなわち、前漢時代の 文学者「司馬 相如」の 故郷(上の写真左)、そして、 明代から残る 旧市街地(周子古鎮:相如古城)の風景、最後に、「百牛渡江」といわれる地元農民らの 水牛文化(上の写真右)である。特に最後の「百牛渡江」は世界でも類まれな習慣ではないだろうか。日の出とともに農夫らが百を超える水牛を追い立てて嘉陵江を渡り、中州の草原地帯に放牧。そして、日の入りとともに、再び、嘉陵江を渡らせて牛舎へ戻す、ということが毎日、行われているらしい。場所は、この旧市街地からさらに南側の下流という。


以下は、蓬安県鎮の旧市街地の様子である。本当に時代劇のセットみたいに、古い家屋が並ぶ。大陸中国がすごいところは、まだこうした家屋に居住している人たちがたくさんいる、という生の生活スタイルを目にすることができる点であろう。

蓬安県鎮 蓬安県鎮
蓬安県鎮 蓬安県鎮

この旧市街地の散策中、特に印象に残ったのは、古より貧富の格差がはっきりし、それにより居住区が分かれていた、という事実を露骨に目にすることができた点であった。
かつて高級住宅街であった「紅軍街」。その昔、「塩店街」と言われていたが、1933年秋に共産党軍が進駐し、この路地に滞在。この通りに、たくさんの共産主義スローガンを貼りまくった、という。おそらく、明清の時代から塩の専売権で財を成し、この路地に君臨してきた江西商人たちは弾劾されたものと思われる。そして、共産党の紅軍に財産没収となり、紅軍街という通りに名称変更までされてしまった。確かに、この場所は川面から最も高い位置にあり洪水等でも安全な一等地であったと言える。

蓬安県鎮 蓬安県鎮

この最上級の路地に続く二番目に高い土地は、「新華街」という名称で、同じ通りの延長上にある。この二番目以下は川べりまで「下河街」という地区分けになっていたようである。庶民は川面に近い地区を中心に居住区を形成していた。

蓬安県鎮 蓬安県鎮

そして、 その下で河の 波止場(周子船着き場)より荷揚げされた物資が下の庶民街を通って、上の「高級住宅街」の倉へと運ばれたのであろう。

蓬安県鎮 蓬安県鎮

ちなみに、近代以降の記録として、1981年に 大洪水 があったらしく、その際に達した水位が岸壁上に刻まされていた。市街地に置き換えれば、ちょうど、波止場近くに立つ 楼閣「財神楼」の 1F部分が全部、水没してしまう高さである。

蓬安県鎮 蓬安県鎮
蓬安県鎮 蓬安県鎮

江西商人たちは当時から相当に経済的な力を持っていたようで、ここに「萬寿宮」という廟まで建設し、江西人の同郷会の集いの場としていたようである(明代中期に設置)。また、その向かいには武誕宮というものがあり、3つの社を持つ関帝廟があったようである(宋代に設置)が、20世紀中盤に破壊され、かつての正面入り口である石洪門のみ残すのみで、今では民家に併合されていた。神様や寺院というものも人間が決めて創り出したもの、それを破却するのも、また人間か。そして、唐時代初期に最初に建設された、河辺に立つ 楼閣「財神楼」もまた、 1960年代の文化大革命の際に破壊されたようである。
この財神楼の近くの鍛冶屋さんが今でも現役で仕事をしていた。半袖半パンで鉄打ちしている男性の 写真(本ページ前半)。No Photo !って書いてあったが、写真撮っても何も言われなかった。。。


旧市街地の上にある龍常山には、お寺があった。そして、その嘉陵江沿いには楼閣が建てられていた。登ってみると、2F部分全体がマージャン専用空間と化していた。山と河と明代家屋が織りなす絶景にうつつをぬかしながら、マージャンを楽しめる空間を地元民は大事にしていってほしいものだ。

蓬安県鎮 蓬安県鎮

その楼閣前には、巨大な「顔」石像。

蓬安県鎮 蓬安県鎮

旧市街地の路地で見かけた猫の首輪。靴を首輪に括り付けられていた。ローカル人の知恵。


また、この街でも開発の波は確実に押し寄せていた。旧市街地を取り囲むように新しいマンション群、陸橋などなどが建設されていた。どんどん旧市街地の住民も減っていくことであろう。また、この街では石炭が大いに生活必需品のようで、石炭屋さんが旧市街地のすぐ横に軒を連ねている。今でも、リヤカーで引き取りに来ては、自宅で使っているようである。 あと、午前中に雨が降っていたこともあってか、たくさんの蝶に似た昆虫が街中を飛び回っていた。これを地元の 子供たち、鶏、雀、ハト、アリらが追い回して捕まえ、食べていた。。。。はかない命を散らした昆虫たち。

蓬安県鎮 蓬安県鎮

蓬安バスターミナルは結構、蓬安鉄道駅の向かい側にある。市街地の入り口付近にあたる。 ここの前のバス停で路線バス ①か ⑥に乗っていけば(1元)、終点が先の旧市街となっている(20~30分ほどで到着)。①の終点は、旧市街地の 周子碼頭(船着き場)。


蓬安県鎮

また、四川省南充市蓬安県のもっと山奥の河舒鎮という場所に、南宋がモンゴル軍の侵攻を対抗すべく築城された 軍事要塞(運山城)の跡が残されているという。標高 700 m強の円形の一つ山である。


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