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訪問日:2016年2月中旬 『大陸西遊記』~


スコットランド・スターリング市 ~ 人口 4.2万人、 一人当たり GDP 43,000 USD (国全体)


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  現存するスターリングの都市城壁
  スターリング城
  スターリング城とその歴史
  現存するスターリング城内の石積み垣根
  旧市街地に息づく中世の名残り ~ ベーカー通り、穀物取引所通り、修道会通り




スターリング市

スターリング城と旧市街地を見学する目的で出発したが、午後14:00ごろから、しとしとと雨が降り出す。

スターリング・バスタ―ミナルがショッピングセンターと併設されていたのは助かった。
ここで、雨傘を調達する(4 GBP)。

スターリング市 スターリング市

そして、風雨が続く中、城壁沿いにスターリング城を目指す(上写真)。風で何度も折り畳み傘が吹っ飛ばされた。
下写真は、途中で目にしたユースホステルと、観光局の建物(かつての刑務所跡)。

スターリング市 スターリング市

20分ほどの雨風にさらされた悪路を突破した後に、スターリング城の駐車場に到着する。下写真。
ここは、かつて衛兵500名が整列できるほどの広場であったという(1800~1964年、スコットランド統治を目的とした英国軍が駐留していた)。
第一次世界大戦時、この広場で、英国政府はスコットランド中から志願兵を募集し、列車で南部へと送りだしていった。志願兵らは、スターリング城下で息絶えた多くの古代、中世の兵士らに思いを馳せながら、愛国心を高められていったという。

スターリング市

スターリング市

さてさて、この駐車場奥にある正門に到着した時点で、もう靴の中は水浸し。そして、寒いし、風は強い。城塞の入場料は14.5 GBPと高い。

もう入城する気力を失い、外部城壁だけを撮影して、帰途についた。
さすがに名門観光地だけあって、こんな風雨の中でも観光客はいた(15:30時点で20~30人ほど)。

さて、このスターリング城であるが、古くはローマ軍がブリテン島の北部まで進出し、 83年、スターリングの地に前線基地を設置したことに遡る。
孤高にそり立つ絶壁の丘は、蛇行するフォース川を有し海路も確保できる防衛に適した地と判断されたのであった。

スターリング市

周囲は平野部を構成し、農業開拓にも向いていた。後に、山がちなスコットランドにおいて、重要な穀倉地帯を形成することとなる。

ローマ軍により、北部の山岳地帯(ハイランド)へ追われた先住民ら(ケルト系ピクト族)は、以後、ローマ軍と当平野を巡って熾烈な争いを繰り返すこととなる。
最終的に200年過ぎに、北方支配に限界をきたしたローマ軍は、南側のハドリアヌスの長城まで防衛ラインを下げることとなり、先住民らの支配地として回復される。ローマ軍は当時、このブリテン島北部一帯をカレドニアと呼称した。

以後、城塞は拡大に拡大を遂げ、スコットランドの穀倉地帯として時の国王から庇護を受ける重要都市として君臨し続けた。当然、南のイングランドとの戦いでも、度々、その侵攻を受けることとなり、城塞は幾度となく落城している。
特に力攻めでは攻略困難な城塞であり、投石器を使ったイングランド軍の攻城戦法が有効であったらしい。この投石器戦略は、後の100年戦争において、強力なフランス陸軍(騎馬&歩兵)に対抗する上で、英国の重要な戦略武器へと応用されていく。

スターリング市

さて、かつてはスコットランドでも重要経済都市として名を馳せた城塞都市「スターリング」であるが、現在は城塞付近の、一部の城壁のみが残されるだけである。
今日、目にする城壁の残骸は、1547年に建造されたものという。

1542年にスコットランド王ジェイムズ5世が病没すると、生後6日のメアリーが女王として即位する。イングランド王ヘンリー8世は、スッコランド王位をねらい、自身の皇太子エドワードとメアリーを結婚させるべく、スコットランドへ出兵を繰り返した(手荒な求婚:Rough Wooing)。
この戦乱に備え、城壁の拡張・強化工事が急ピッチで進められたわけである。

最終的に、女王メアリーは家臣団によりフランスへ逃され、フランス王家と結婚する(1558年)。

スターリング市

また、城塞の麓に広がる郊外地区では、中世からの名残で、今でも各家を仕切る低い石積みの壁(垣根)が各所に残されていた。下写真。

スターリング市 スターリング市

城塞から、駅方面へ戻る。下写真は旧市街地の様子。

スターリング市 スターリング市

旧市街エリアのメイン・ストリートであるベーカー通りだが、 かつて主食のパン屋を中心に、たくさんの商店が立ち並ぶ、 最も華やかな通りだったという(下写真左)。
18世紀以降、ショップ群はさらに低地のキング通りへ移転し、 ベーカー通りには中古品店やバー店が残されたらしいが、今では店舗類は一切なく、 ほとんどが公共住宅群という(下写真右)。

スターリング市 スターリング市

旧市街地には、その他にも穀物取引所通り(Corn Exchange Road)、修道会通り(Friar Street)、港口通り(Port Street)など、かつての面影を刻む路地名がいくつも残されていた。

1時間ほど外を歩いている中で、気づいたのは、欧州の人はこんな風雨の中でも傘をささずに、平気でそのまま外を歩いている、ということだ。
2月なのに、半袖姿で濡れながら歩いている青年にも何人か出くわした。
こっちの人にとっては、雨はあまりに日常的過ぎて、傘を差すまでもないのであろう。また、室内暖房は非常に発達しており、衣服も簡単に乾いてしまうようだ。


エディンバラ のバスターミナルから都市間バスで、スターリングへ移動してみた(往復チケットで 4 GBP)。
13:05発で、14:30前にスターリング到着できた。

帰りは17:40に現地発で、19:00前にエディンバラのバスターミナルに帰着した。
全てにおいて、バスの発車時間はかなり正確だった。

 ※ スターリング・バスタ―ミナルから、エディンバラ行のバスは、2時間に一本あり。
 ※ スターリング・バスタ―ミナルから、グラスゴー行のバスは、1時間に一本あり。
 ※ スターリング・バスタ―ミナルの待合室のトイレは無料だった。
    (エディンバラのバスターミナルのトイレは、30ペニー必須。コイン両替機まで設置されていた)




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