ここから「錦田公立蒙養学校」脇の 路地(錦田市街)を北へ入っていくと、2分ほど先に公衆トイレがあった。
その後方を走る 大通り「錦田繞道(Kam Tin Bypass)」を渡り(信号 or 地下道)、「錦慶路」沿いに錦田河の橋を渡ると、いよいよ「水頭村(Shui Tau Tsuen)」に至る(ここから「錦慶路」は「水頭路」へと名前が変わる。下地図)。
下写真右は「鄧虞階書室(Tang Yu Kai Study Hall)」。
入り口門は閉鎖されており、内部観覧できない状態だったが、水頭村にあった 6ヵ所の私塾の中で最大面積を誇る施設だったという。
その名の通り、科挙に合格した 秀才・鄧虞階(Tang Yu-kai)が引退後に私財を投じて開設した私塾で、19世紀始めに建設されたという。科挙合格を目指して(For gaining titles at the Imperial Civic Service Examination)勉学に励む地元の子弟らが集ったという。教師らも大陸中国から招聘していたことから、内部は教室だけでなく、教師の宿舎部屋も併設されていた。
この「泝流園(So Lau Yuen Study Hall)」も、地元で「知稼堂(Chi Ka Tong)」と称された私塾であった。現在、香港政府により 三級歷史遺産(Grade III historical building)に指定されている(下写真)。
錦田鄧氏 21代目子孫にあたる 鄧権軒(1755~1822年。Tang Kuen-hin))が 18世紀末に建立したもので、当初より一族の子弟らを科挙試験に合格させるための教育施設であった。上の 私塾「鄧虞階書室」を開設した鄧虞階は、彼の 四男(末子)にあたる人物である。
続いて、この西に隣接する「二帝書院(Yi Tai Study Hall)」に入ってみる。上写真。
ここは清代中期の 1821年に建立された施設で、当初は村の有力士紳 16名が共同設立した 文武二帝会(文昌会)の 本部(輪番制で会首を担当した)として、文昌帝君と関帝の二帝を祀りつつ、一族の祭祀を執り行う場所であった。その後、地元子弟らの学びの舎として利用されるようになる(上写真左)。内部は簡素な設計で、植物文様と幾何学模様の漆喰装飾のみが施されている質素なデザインが採用されている。