『大陸西遊記』ホーム 中国王朝年表

訪問日:2014年2月中旬 『大陸西遊記』~


スロバキア ブラチスラヴァ市 ~ 人口 12.5万人、 一人当たり GDP 24,000 USD (国全体)


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  スロバキア大統領官邸
  ブラチスラヴァ城館




ブラチスラヴァ

鉄道でオーストリア・ウィーンから到着した(下路線図)。

ブラチスラヴァ

しかし、ブラチスラヴァ側の鉄道駅は、相当に郊外にあり、ここから路線バスで乗り換えての移動が必要だった。鉄道を下車する乗客が大挙して進む方向に一緒に移動し、そのままバスに乗ればよい(有料)。

Most橋を渡って旧市街地に入るや否や、一つ目のバス停で下車する。ここが、旧市街地の北側入り口に相当する。
この日は、ブラチスラヴァ城の真下にある大手ホテル・チェーンのノヴォテル(Novotel)に投宿した。

あとで分かったが、主たるショッピングエリアや安宿は、路面電車が走る Namestie SNPを東進し、交差点を渡ったDunajska通り沿いにあった。夜はこの付近で食事を取った。

ブラチスラヴァ

翌朝、旧市街地を散策する前に、スロバキア大統領官邸(下写真左)を見学してみた。結構、普通に街中にあった。。。上写真は、その大統領官邸前から見た、ブラチスラヴァ城館。

下写真右は、旧市街地内にある日本大使館。ブラチスラヴァ市の観光案内所の向かいにあって、とても目立っていた。

ブラチスラヴァ ブラチスラヴァ

下写真は、大統領官邸前の交差点。

ブラチスラヴァ

下写真は大統領官邸の東に連なる官庁、ビジネス街。スボバキアの中枢部にあたる。日本と同じで、電線がたくさん空中を走っていた。

ブラチスラヴァ

さて、当地の旧市街地であるが、城壁や城門、外堀の一部が残されていた。非常に残念だが、撮影した写真を消去してしまい、ここに掲載できない。

さて、ブラチスラヴァ城館であるが、ここは紀元前125年にケルト人が要塞を建造して以降、当地に君臨する城塞として、常に都市ブラチスラヴァの守護神であり続けた。

ブラチスラヴァ

しかし、ナポレオン戦争の折、オーストリア=ハンガリー帝国も撃破され、 ハンガリー王国の首都であったブラチスラヴァも、フランス軍に占領される(1809年~)。下地図。
この時、王宮に進駐していたフランス占領軍の兵士らの失火で、 中世当時のブラチスラヴァ城館は完全に焼失してしまったという(1811年)。

ブラチスラヴァ

午後からウィーンに戻る際、ドナウ川沿いのRazusovo通りと、対岸へ渡る大橋Most SNPとの交差点にあるバスターミナル(下写真)から、都市間バスが1時間に一本、運行されている。旧市街地にも近く、オーストリアとの往復は、間違いなくこの都市間バスが絶対的に便利だ。

ブラチスラヴァ

バスでだいたい2時間ぐらいでウィーンに到着する。オーストリアの国境に入った直後から、車窓にはひたすら風力発電用の風車が延々と続くようになる。

ブラチスラヴァ


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