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訪問日:2014年12月中旬 『大陸西遊記』~


浙江省温州市 ~ 人口 920万人、 一人当たり GDP 50,000 元


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  温州城(永嘉郡城)



【 温州市の歴史 】

紀元前2500年ごろの新石器時代後期において、すでに人類の生息が確認されているという。市内では古代遺跡が100箇所以上も発掘されており、早くから農耕漁業生活が営まれていたことが証明されている。
戦国時代下の紀元前334年、楚国の威王が東側にあった越国への侵攻を開始し、越王の無疆(臥薪嘗胆の故事で有名な越王勾践の6代目の子孫にあたる)を捕縛、処刑して、多くの領土を武力併合する。最終的には、紀元前306年に楚の懐王が派遣した軍により、越国残党勢力も完全に消滅してしまう。しかし、越国の一部の王族の末裔らは東瓶と称して、引き続き、楚領下となった温州一帯に定住し続ける。
その楚国も、紀元前224年、秦国により滅ぼされる。秦国は最後に残った斉国を紀元前221年に武力併合することで、中原の統一を成し遂げる。そして、すぐに中央集権統治を開始すべく、全国を36郡の行政区に分割する。 このとき、まだ温州一帯は秦の影響下になかった。紀元前219年から開始される嶺南遠征の際、この地方も秦領下に併合される。 このとき新設された閩中郡(郡役所は今の福建省福中市に開設)に帰属することとなった。

中原統一後の秦の始皇帝と華南遠征


前漢王朝時代の紀元前192年、二代目皇帝の恵帝(劉盈)は、楚漢戦争時代から功績の高かった騶揺を東海王に封じる。その王都が東瓶地区に開設されたため、別名を東瓶王とも呼称された。
後漢王朝時代の138年、章安の東瓶郷を分割して、永寧県が新設され、瓶江の北岸に県行政庁が配されて、温州での県制政治の中心地としてのスタートが切られることとなった。
三国時代、呉領下にあって臨海郡永寧県の県役所があった。

温州市

東晋王朝下の323年、臨海郡が分割されて温嶠嶺より南に永嘉郡が新設され、永寧に永嘉郡行政庁が開設される。このとき、永寧、安固、横陽、松陽の4県を管轄することとされた。あわせて、群行政庁が入る城壁都市が、瓶江の南岸部に築城される(当時の資料から、その城壁の高さは11.5mで、周囲1kmあったとされる)。これが現在の温州旧市街地の誕生につながることとなる。伝説では、白い鹿が城外を一周して走り去ったことから、鹿城とも呼称されるようになったという。

温州城(当初は永嘉郡城)の築城にあたり、地理学・天文学者であった郭璞(276~324年、山西省聞喜の出身)に築城工事の指令が発っせられる。現地に赴いた郭璞は付近の地の利を調べ、ようやく西郭山に登って目にした現在の地に築城予定地を選定する。周囲の山々の位置関係が北斗七星を表し、またすぐ東側は海岸線も近かったため(当時の海岸線はかなり内陸部にあった)、交易や防衛上での要衝にもなり得るなど、多くの要素が考慮されたようである。

北に瓶河、南に会昌河、そして東西を自然の河川に囲まれた要害の地形を利用し、城内に七つの小山と無数の小川、水路、運河を巡らせた風水の世界を体現させた空間が造成されていったという。城内の水路交通も発達しており、物資や人の往来にも利用されていたらしい。
その築城以後、史上一度も戦火を見ることなく、温州城は安寧を謳歌し続けることになる。

温州市

温州市

時は下って、南北朝時代を統一した隋王朝下の589年、永寧、安固、横陽、楽成の4県は合併され、永嘉県となる。このとき、処州に帰属された。それから3年後、処州は括州へと改名され、その州役所は括蒼県城内(今の麗水市)に開設される。
隋朝二代目皇帝の煬帝の治世下の607年、括州は永嘉郡へと改名され(群役所は引き続き、括蒼県城内に設置)、永嘉県、括蒼県、松陽県、臨海県の4県を管轄し、合計10542戸を統括したという。

唐朝初期の621年、永嘉郡は括州へと改名される。622年、括州が分割され永嘉県城を中心に東嘉州が新設され、永嘉県、安固県、楽成県、横陽県の4県を管轄するものとされるも、627年、再び東嘉州は廃止され、括州に含められた。

675年、括州から永嘉県と安固県の2県が分離され、温州(州役所は永嘉県城内に開設)が新設される。このとき初めて温州の名が歴史に登場する(四季を通じて温暖湿潤な気候から命名された)。
唐の玄宗皇帝の治世下の742年、温州は括州を吸収し永嘉郡へと改名され、4県を管轄するものとされた(合計42,814戸、241,690名の戸籍を有した)。758年、再び永嘉郡から温州へと変更される。以後、温州は永嘉県城を中心に4県を統括する地方都市として、1000年以上もの間、太平の世を謳歌する。
温州市

温州市

清末の1911年、武昌蜂起の勃発により清朝の支配体制が崩壊し、同年11月29日、温州にて軍閥政府が成立し、徐定超が臨時都督に就任する。翌年7月、新たに南京にて成立した中華民国政府により温州軍閥政府は廃止され、改めて温州府が設置される。日中戦争終了後の1949年8月26日、温州市が正式に成立し今日に至る。

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