BTG『大陸西遊記』~中之島仙人による 三次元的歴史妄想記~
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訪問日:20--年-月-旬


新潟県 南魚沼市 ~ 市内人口 5.5万人、一人当たり GDP 290万円(新潟県 全体)


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  坂戸城跡(上杉景勝の 実父・長尾政景の居城)
  長尾政景の墓所、上杉景勝の 重臣・直江兼続の 生誕の碑
  坂戸陣屋跡
  樺沢城跡(上杉景勝 誕生の地)
  三国街道
  塩沢宿(関東と越後を結ぶ 三国街道の宿場町)



東京 滞在の折、2日間で仕事を片付け、チケットショップにて新幹線の乗車券を購入した。

JRの正規料金は以下の通り。
東京駅 → 越後湯沢駅 新幹線 6,260円 1時間20分前後
大宮駅 → 越後湯沢駅 新幹線 5,720円 55分前後 (東京からプラス 540円)
高崎駅 → 越後湯沢駅 新幹線 3,560円 25分前後 (東京からプラス 2,700円。在来線で東京ー高崎間は、1,980円 2時間)
ちなみに、東京駅 → 長岡駅 新幹線 8,580円 1時間40分前後
長岡駅 → 六日町 在来線は 1時間に一本の運行(990円、60分弱)。

越後湯沢駅に到着後、今度は 地元の 路線バス(南越後観光バス。六日町車庫前~湯沢車庫前ルート)に乗って、さらに六日町駅を目指した。電車の方が圧倒的に早いことは明らかだったが(330円、21分、1時間に一本)、この国道ルート、および車窓から見える魚沼盆地を見てみたかった。上杉謙信が関東遠征の度に、目にした盆地風景だったわけである。
なお、このルートの路線バスは、一日に 3本しか運航されていない(9時半ごろ、13時半ごろ、17時過ぎ)ので、事前に新幹線の乗車時刻との調整が必須であろう。

この道中にある「JR 上越国際スキー場前駅」の西側に見える標高 304 mの山が、樺沢城跡であった。
ここは、上杉謙信 の実姉・綾姫(1524?~1609年)が嫁いだ先の、坂戸城主・長尾政景(上田長尾氏の当主。1526~1564年)の支配する支城の一つであった。当時、眼下には上田の庄と呼ばれる盆地平野が広がり、越後国の最南端の要衝で、越後を平定したばかりだった謙信が特に重視した関係上、親族化が図られたわけである。そして、その南端の城「樺沢城」内にて、次男・上杉景勝(1556年1月~1623年4月)が誕生することとなる(長男は夭折してしまう)。つまり、景勝は謙信の甥にあたる。1564年に長尾政景が死去すると、景勝と 綾姫(後に出家し、仙桃院と号する)は謙信のいる 春日山城 へ移住することとなり、そのまま謙信の養子とされたのだった。
謙信が関東遠征の際、度々、立ち寄った越後最南端の城塞であり、真下に、関東平野へ通じる三国街道が通る。謙信はこの三国街道沿いに、浅貝寄居城などの支城をいくつも築城し、守備と兵站ラインを担わせていた。
六日町

特に、謙信死後に勃発した「御館の乱」では、上杉景勝(24歳)と 景虎(25歳)が対立し、後者を支援した北条氏政が、1578年9月上旬に実弟の 北条氏照、氏邦を派遣して三国峠を越境し、上田の 庄(魚沼盆地) に進駐させ、最南端に位置した樺沢城を攻略して、本部基地に定めている。そのまま北隣の坂戸城などを攻撃するも、冬の接近が間近となった 9月末、この樺沢城に北条輔広、河田重親を配置して、本隊は関東へ一時帰国することとなる。

未だ北条方の余勢が強かった翌年 2月まで小競り合いが続くも、雪解けが始まった 3月中旬以降、景勝派が逆転し、北条軍本隊が再侵攻する前に、景虎は逃亡途上の 鮫ヶ尾城 内にて自刃に追い込まれるのだった(3月24日)。そのまま樺沢城も景勝派に奪取され、ようやく越後から北条勢力を駆逐することに成功したわけである。それから 20年後に豊臣秀吉の命により会津 120万石へ国替えされるまで、越後上杉家の最南端の国境拠点として重視されるも、景勝転封後に廃城となる。

六日町

遊歩道が整備された 山城「樺沢城」の眼下に広がる盆地は、この「御館の乱」の際、景虎派の援軍に来た北条軍と、景勝派の坂戸城との攻防戦が繰り広げられた地、というわけである。 ここを路線バスで移動後、終点の六日町駅前で投宿した。
当地はホテル数も少なく、料金も 長岡市街地 よりもずっと割高だった。しかし、越後上杉氏と関東北条氏との争奪戦の現場をじっくり見たかったので、現地で一泊することにした。

翌日、六日町駅前でレンタサイクルを借りる
あわせて、観光案内所 にて地図をもらっておいた。

まずは、坂戸城(標高 470 m。下絵図)を訪問してみる。謙信の実姉が嫁いだ長尾政景の本城で、その後、上杉景勝や直江兼続が居城とし、越後の南部を守備する要となった城郭である。三国街道を見下ろす交通の要衝にあり、また越後随一の 銀山「上田銀山」を守備する拠点でもあった。1598年に上杉景勝が会津へ移封された後、堀氏が越後国主となると、堀直寄が坂戸城主に配せられている。
現在、登山道が整備され、非常に登りやすい山城となっている(山開き:毎年 6月30日~)。

六日町

六日町

坂戸城訪問後、銭淵公園内の直江兼続公伝世館や 野尻池跡、内堀跡を見学する。さらに 、三国街道沿いをサイクリングして南進し、かつての上田の庄一帯を散策してみる。南隣の駅前に広がる、旧「塩沢宿(関東と越後を結ぶ 三国街道の宿場町)」も散策してみた。

夕方、六日町駅前に戻り、JR線で 長岡駅 前へ移動する(990円、60分弱、1時間に一本運行)。


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