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吉林省白山市 ~ 人口 127万人、 一人当たり GDP 53,000 元


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  臨江城



【 白山市の歴史 】

新石器時代において、白山市一帯にはすでに人類の生息が見られたとされる。
春秋戦国時代、秦時代を通じて、燕国や統一秦王朝に組されることなく、引き続き、狩猟遊牧民族らの原始的な生活域であった。前漢時代、武帝による東方遠征以降、この地にも中原支配が始まり、幽州刺史の管轄下の遼東郡に帰属されることになる。

前漢王朝末期の紀元前37年、現在の遼寧省本渓市桓仁満族自治県にある五女山山城(卒本)にて、扶余族の王族であった朱蒙(チュモン)により、高句麗国が建国される。徐々に後漢王朝の領土を侵食し、白山一帯も自領に併合してしまう。その後、197年5月の第9代君主「故国川王」の死後、高句麗朝廷内では王位継承をめぐる内紛が勃発し、兄の延優と弟の発岐とが対立する。弟側は遼東太守の公孫度の援軍を得るも敗北し、そのまま遼東地方へ落ち延びていくことになる。その後も政情不安はくすぶり続け、219年、これに付け込んだ公孫康が高句麗の領土へ侵攻し、その領土を焼き払い、多くの人々を自領へと連行していった。こうした公孫氏との対立もあり、高句麗朝廷は以前から魏国に朝貢関係を構築しており、238年の魏将「司馬懿」による公孫淵の討伐戦に際しても、当時の第11代当主「東川王(山上王の息子)」が援軍として加わっている。

白山市

公孫氏の滅亡後、国境を接するようになった高句麗と魏は、徐々に不仲となっていく。ついに242年、高句麗一派が魏領の西安平を侵犯したということで、244年に魏の幽州刺史であった毌丘倹が高句麗領へ報復攻撃する。このときに、白山市一帯や当時の高句麗王都であった丸都城も陥落させられる。冬の到来もあり、いったん魏軍は撤退するも、翌245年に再侵攻し、高句麗領の大部分を占領することに成功する。魏の支配の下、この旧高句麗領一帯は玄菟郡に組み込まれることになった(白山市もここに含まれる)。


その後も、高句麗の残党勢力は失地奪還、さらに南下して遼東半島への進出を企図し、三国を統一した西晋王朝の内紛や五胡十六国時代の混乱に乗じて、その領土を回復していく。白山市一帯はかなり早い時期に高句麗領へ再併合された。 しかし343年、西側の匈奴族が建国した前燕国はその勢力を東方へ拡大し、白山市一帯もその領土として奪われてしまう。370年に前秦が前燕国を亡ぼすと、引き続いてこれに帰属した。その後を継いだ後燕を破って、ついに404年、高句麗は遼東半島全域を支配下に置くことに成功する。ここから200年近く、高句麗の支配の下、中国東北部、遼東半島一帯は太平の世を謳歌することとなった。

300年にも及んだ南北朝分裂を統一した隋王朝の時代、3度の高句麗遠征が実施されるも、高句麗はこの地を守りきることに成功する。
隋朝を滅ぼした唐朝もまた、3度の高句麗遠征を決行する。そして、ついに668年、高句麗の滅亡となり、この地域は唐王朝の支配下に入ることとなった。現在の白山市一帯は安東都護府と勿州都護府に分かれて帰属される。しかし、唐朝の支配も束の間、すぐに713年、北方の女真族系の渤海国に再占領されてしまう。このときに、今の白山市臨江所に神鹿県が設置され、神州治所が開設されている。 873年、渤海国の西京の周辺地区にあたり、重要地区として神鹿県城に鴨緑江府が設置される。この鴨緑江府が神州(今の臨江市)、桓州(今の集安県)、豊州(今の抚松県)、正州(今の通化市)一帯を管轄することとされた。
その後、926年、遼国により渤海国は滅亡させられ、旧渤海国の領土には東丹国が設置された。その後、渤海国の旧住民らは現在の白山市域に移住し、定安国を建国している。宋代初期まで定安国は存続し続けるも、982年、遼国に併合された。遼国の統治下、東京道に帰属する。そして、今の臨江に渌州駐鴨緑江軍節度使が設置される。この節度使は、弘聞、神里の2県(今の白山市)と、桓州(今の集安県)、正州(今の通化市)、慕州(今の柳河県)を統括することとされた。

遼王朝、続いて北宋王朝を滅ぼした金朝(女真族:後に満州民族となる)の統治時代、東京路婆娑府に帰属した。元朝時代、遼陽行中書省瀋陽の管轄地となる。明代に入ると、奴儿干都司建州衛に帰属した。1591年には、ヌルハチにより後金国(満州族)に併合される。
清王朝下、吉林副都の管轄とされた。時代は下って、清代末の1902年、風雲急を告げる満州地方ではロシア、日本の勢力が入り混じるようになり、経済的権益は両国に取り上げられるも、残された行政執行権を強化すべく、度重なる行政改革と区割り改編が実行される。中華民国となってからも、引き続き、清末の行政制度が踏襲された。白山市一帯は奉天省東路道に帰属される。戦後の1946年、最初は遼寧省に属するも、1954年8月20日に吉林省へと移籍された。

白山市

現在の白山市街区は、近代以降に開発された都市であるため、古城跡は存在しない。この地域一帯の行政機構は、この中心地から東へ50kmの地点にある臨江市にあった。渤海国時代の神州、遼国時代の渌州駐鴨緑江軍節度使などが置かれていた古城都市である。しかし、当時の城壁はすべて撤去されており、路地名、地名にもほとんどその名残は残されていなかった。古城スーパー、南囲子街、西順街、東順街。

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