①
松花江の河岸エリアは、古代より部族勢力や 地方王権(夫余国や渤海国、高句麗など)の境界線を成してきたこともあり、度々、紛争の最前線となってきたエリアであった(下地図)。
このため、元々あった集落や軍事拠点が征服者によって破壊されると、また新たに城塞拠点が再構築され、さらに次の征服者が重ねて新集落を作るなど、何度も文明の上に文明が塗り替えられる、重層的な歴史を紡いできたわけである。こうしたパワーとパワーの境界線上にあって、現在の賓県一帯には数多くの古城遺跡が点在していくこととなった。
②
契丹族(後に遼王朝を建国)が渤海国を滅ぼし、その遺民らを南部へ強制連行すると、空白地帯を埋めるように北から女真族が南下し、松花江沿いの平原部の住みつくようになる(以降、このエリアに割拠した女真族は、「生女真族」「五国部」と称される)。下地図。
東北地方では山々から雪解け水を吐き出すため、河川が網の目のように流れており、この 河川交通&経済が重要な地理的条件となっていたわけだが、その主流である 松花江~アムール川(黒竜江)沿いをテリトリーとしたことで、女真族は財力とネットワークを構築して台頭し、後に 金王朝、後金王朝、清王朝を建国するまでに、強大化していったわけである。その「五国部」女真族の中でも、最西端に割拠した完顔部族が最も強大化し、他の女真族集団を統率していくこととなる。